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これが高校生以外にも分かり易く書かれていて、心理学をザクッと概略から掴む、という目的にはすごくあっている。
本自体は、Amazonさんで表紙がでないのが残念なぐらいに優しい感じのイラスト。そして専門用語を極力減らして書いてある。そんなところも良いんだよなぁ。
そして冒頭のつかみが最高に考えられてるなぁと思う。うぅ、ココ書きたいんだけど書かない。だって筆者のひとがきっとすごく考えて苦労したと思わしき部分だから。
とにかく最初で、「お!心理学って面白そうだぞ!」って。そこからあとの文章もなるべく飽きさせないように、小難しくならないように、ということに苦心しているのが見える感じ。先生たち、がんばりましたねぇ。
ということで高校生へのプレゼントとしてはかなりイイかも。勿論,ココロって不思議だなぁと思ってしまった大人にも。
追記:すごくイイなぁと思う章がもういっこあった。それは第4章の3部、「自閉症の子どもを支える」というパート。自閉症は「ひきこもり」とは違うんだと明記してある。ぁ、そういう誤解があるのねん。
日曜日は、いとうしんすけさんのオープンカウンセリングのコースに顔を出して、
「へぇ〜〜〜、これがカール・ロジャースかぁ、禿げてて坊さんのようなオッサンだなぁ」とか思いつつ,
グロリアというきっと30代前半くらいの白人女性がカール・ロジャースのセラピーを受けるという65年のビデオを観る。これがまた、なんとも普遍的な内容で「これって今でも全然フツーの悩みじゃん!」とか思いつつ,たまに眠気で気を失いつつ最後まで何とか。
いとうさんと参加者との、なんていうんだろう、フリーディスカッション?の時にこのグロリアさんへの観察として「無意識が彼女をしっかり守っている」というコメントが有った。無意識と言う見えない「無色透明な柔らかい強化ガラスのようなガード」がどんな人間にもしっかり装備されていて、それが「意識」っていう後から来た厄介な侵入者というか転校生というか、そいつと外から来る外敵から肉体を守ってくれる。時たま対峙する喧嘩したりするけど。という風に受け取った訳です。だから無意識は色んな意味でツヨイと。
てなわけ?で、ホントはそのあとの懇親会で教えてもらった末永蒼生さんの本でも探してみっかなと思ったら、こんなのに引っかかった。
ジャック・ラカンというフランスの精神分析家を父親にもつシビルという娘の書いた短いエッセイ。
ただひたすら、自分のこと、母親のこと、父親のこと、などなどを短い文章でとくにオチも無く綴ってる。
これ読むと「こんな父親はいやだ〜〜!!」って叫びたくなる。だってこれから娘のカウンセリングするんだけど、近くのラブホで母親とは別の女としけこんで出てくるところを見られてるんだよ。こんな仕打ちって無いよなぁ。
でもそんなにひどい仕打ちをされても、シビルの無意識がひたすら父親を愛そうとしてる、愛しているということだけは、良く判った。
無意識、ギザツヨス
診断結果
特定の愛の対象にエネルギーがむいている平常性愛型。愛情と攻撃性が両方とも強く、うまく調和しているので、異性の獲得に積極的である。日本人は愛情表現が下手なので、この反応はあまり見られない。
発作衝動 +0タイプ
潔癖で罪の意識を強く持つ良心呵責型。悪意や自己顕示を嫌って、常に良心の声を聞こうと努める。極端な場合は、動物、広場、密室などへの恐怖症となる。
自我衝動 *0タイプ
常にどうかしなければならないと考えている強迫自我型。社会的に許されない欲求と、これを規制する欲求とが同時に存在し、繰り返し同じ問題で悩む。自己愛と理想を求める心との間で、どちらとも決められない。
接触衝動 *-タイプ
離別と探求の対立を持っているが自分ではあまり気にしない執着不誠実型。完全に別れようか、それとも固執しようか、あるいは新しいものを探そうかと迷っている。すごく悩んでいるようにみえるがそれほどでもない。
30年にわたって家裁調査官を努めた藤川洋子の「春のはじまる朝」というのを読んでみた。
やはり、というか当たり前だけど、少年、少女の問題行為の陰にあるのは父親、母親から引き継いだ歪みなのだ。
良く出来た兄を持つ妹、精神病の母親を持つ次男、双子の妹を交通事故で傷つけてしまってから、落ちていく兄。
べつにそこに現れる事象を見ているだけでは、どうしてこういう結果が出てくるのか?疑問に思うかもしれない。そんなに破滅的でもないように客観的には思われることばかりでも、化学反応のように様々な人間が交わって何かが起こる。
そこの部分だけをみると家裁の調査官というのは、化学者のような観察眼が無いと務まらないのだなと思う。
読みやすくて上質の冷酒を飲んでるみたいな感触。でも、春のお花見というより、まだ肌寒い縁側でこっそりお酒飲んでるみたいなシンミリ感がイイ。
この人の他の本も読んでみようかな。
この本をまたまた斎藤学さんの監訳ということで読んでみた。でも、読み進めるうちにこれはセラピーのイロハを書いているのでもなんでもなく、近親相姦というものすごい重いテーマについて書かれているということに気付く。
(もちろん、他の内容もあるんですけど)
実際のセラピーの例を示しながら、被害者だけではなく家族、そして家族の中に居る加害者も含めてどういう手順で関係を改善していくのかという「家族療法」の実際なのだ。あ〜、びっくりした。
しかし、臨床心理のカウンセリングと比べると遥かに積極的だし、具体的に「こうしなさい」という指導が行われる。その中でも「兄が妹に性的いたずらをする」といういかにもありそうな状況をどうやって家族のチカラを使って改善してゆくのか?は平易な口語文で書かれているだけにまるで「重いアメリカ映画」を見ているかのよう。
加害者である兄を跪かせて妹に謝罪させる、そしてその行為を防げなかった両親も他の兄弟も「あなたを守れなかった」として跪いて謝罪する。当然、抵抗があり、その抵抗を乗り越えたところに感情の高ぶりがあって、なんか感動的なというと安っぽいけど、胸の奥の方をヤスリでこすられるような風景。
こういうことを指導できるようになるためにはどれだけの経験と洞察が要るんだろうか?これは真剣勝負なんだなと思う。
なんか重過ぎて書けないけど、これもメモと言えばメモなのだ。しょうが無い。
裏表紙のコピーがイイので、それをメモしておこう。
人間の行動の表面的な意味とその裏に隠された本当の意味とは違っていることが往々にして起こり得る、というのはこれまでのワークショップでも何度かでた話だけど、本当にそれはこの事例にあるように起こり得る。セラピーにおける重要な問題は愛と暴力の葛藤から生じる。
愛が侵入や支配、
暴力を引き起こし、
暴力が愛や保護、
救済の美名のもとに行われる。優れた戦略的セラピストである著者が性的虐待と暴力のある
家族に介入し、治療に導く過程を鮮やかに描く。
そこを読み違えると大変なことになる、というのはよくわかった。
しっかし人間の
[欲は|業は|愛は] (お好きなコトバを選んでください)
深いなぁ。ちなみにボクは全部。
鈴村金彌さんが書いた「フロイト」という薄い本を読んでみた。前に書いたプリンくんの写真に写ってる本。
フロイトさんはWikipediaでは散々な扱いなんだけど、ここではかなり偉大な功績を上げた先駆的な学者という風になっている。こちとら特にガクモンの状況などには興味が無いんだけど。
外観をさらっと撫でたという感じなので、もっと知るためにはちゃんと勉強しましょうということか。
人生の後半で、アインシュタインと往復書簡をやってたらしく、内容はその当時の時代背景を色濃く映し出している感じ。その当時とは、第一次世界大戦が終わって、ドイツにナチツが登場する前夜ってころ。
アインシュタインが書いた質問に対する答えってのが印象に残ったのでメモする。
ア:「(相当略)人間の精神を発達させて、憎悪や殺戮のような精神の病に対する抵抗力をもたせることは、できないのでしょうか。」
フ:「人間相互の間の利害の衝突は、原則的に言えば、暴力を用いることによってのみ、解決がつくものであります。こうしたことは全動物界において行われているのでありまして、人間だけがその例外であるはずもありません。」
フロイトさん、結構、ペシミストだったのね....。
いとうしんすけさんのワークショップに参加するようになってから、「やっぱりもうちょっと概要を大づかみに知っておいたほうがいいなぁ」と思い、図書館の棚を物色する。と、河合隼雄さんと南伸坊さんの「心理療法個人授業」という本を見つけた。
立ち読みすると、ふたりの会話を元に素人にも分り易くいくつかのポイントとさわりが紹介されている。
お〜!いいねぇ!ということで読み始めたら、あっという間に終わっちゃった。ちょっとモノ足らないけど、ユング派の河合隼雄さんのこの文章が気に入ったのでメモしておく。
フロイトが考えたのは、だからもっと深層のところをよく知る必要がある。この変なところ、あやしいところを分析して、もっと自分のものにしていって強くなっていかなきゃいかんと、そういう考えがフロイトです。
ユングがどこでフロイトと違ってきたかというと、この深いところをとことん知るなんてあり得ない、という考え方です。それがあるから面白いと思ってる。
ワークショップの時に聞いたフロイトのエピソード、精神分析の平均的な回数は一人当たり700回以上だそうな。しかも週5日が基本で。スゲー。それで大体7年ぐらいかかる。これっていわゆる貴族階級の人でないと受けられないわな。しかし、Wikipediaのフロイトの記述は結構、キビシいなぁ。
そしてタマに名前が出てくるカール・ロジャースについてもちょっとだけ紹介してくれてある。
そのときにものすごい画期的なことを言った心理学者がアメリカに出てきます。その画期的なことを言った人が、カール・ロジャースという人です。ROGERS。
この人は、もちろん精神分析の考え方でいろいろ治療していたんですが、自分でやってるうちに「精神分析の理論はいらない」ということがわかっちゃった。
で、『ノン・ディレクティブ・カウンセリング』という画期的な本を書きます。要するに、非指示的療法、指示を与えないのがいちばんいいというんです。
(だいぶ中略)
アメリカというのは、ヒエラルキーがすごくはっきりしたところで、ともかく、医者でなかったら分析家になれない、いちばん偉いのは精神分析家だってことになってる、心理学者は「その次」だったのが、精神分析なんかしないで「ただちゃんと聞いてるだけで治る」っていう例証をした。それでロジャースという人はアメリカですごい有名になります。
だそうだ。この辺から「傾聴」ってキーワードが出てくるんだな。このあとは、カウンセリングの本でも読もう。
以前、書いたカウンセリングのワークショップの2回目に行ってきた。雷雨がスゴくてちょっと肌寒かったなぁ。
さて、2回目ということで今回は、「『自己一致』ということをちゃんとやりましょう、ブログに書かれたことはちょっと間違ってるかなぁ〜」ということで早速ご指摘が。
何が間違っているのかというと、自己一致に関して書いたこれ。
「自己一致」はとっても大事。「自己一致」というのは、行動と思考と感情と人格が一致していること、矛盾してないこと
ここの行動と思考と感情と人格、という部分でその4つが並列になっているんだけど、実はそうじゃなくて
行動 思考 感情
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人格
という風に行動する自分、考える自分、感じる自分の下に土台として人格、パーソナリティというものがあって上の3つを包含したというか、全部ひっくるめたものが人格、パーソナリティであるということだった。それに付け加えるなら、「感覚」を感情の隣辺りに付け加えてもイイと。そういう自分がある方向に向いて一致していること、それが自己一致で自己一致が行われる(している)と考えたことが現実になりやすい。ひとつの成功の法則みたいなものになる。ただ、いいことも現実になりやすいんだけど、悪いことも同じように現実になりやすい。つまり、現実化するためのよい方法論なので、「今度の面接、失敗するかも?」なんて思ってるとヤバイらしい。
思ったことを声を出して言ってみるというのは、効果があるんだと改めて思った。
で、自己一致から始まって、自分をちょっと離れたところからみる、自分が他人と接しているところを少し離れて高いところからみる、という自己観察が出来るといいよねぇ、なんて話を聞く。
自分の経験から言うと、仕事で誰かに指示、というより「困ったなぁ。どうしてこうなるのかなぁ。どうすればああしてくれるのかなぁ。」という人を怒るというかきっと向こうは痛いところを突かれて感情的になるだろうなぁという状況の時に、こういう風に1mぐらい離れたとこに自分が居て、話している自分とそれを聞いているスタッフ、というのがよくあった。まぁ、そんなに頻繁にそういう状況があること自体が良くないんだと思うけど。
で、質疑応答などなどがあって、前回もやったワークをやりましょう、ということでカウンセリングの基本中の基本、クライアントに集中するためのトレーニングをやった。
クライアント役とカウンセラー役に分かれて相手と呼吸を合わせてから、クライアントを注視してカウンセラーが感じたことを述べる。それを3分。つまり、「あなたは今、瞬きをしましたね」とか「あなたは今、ちょっと緊張しているように見えます」などなど。
次にクライアントを見ることによってカウンセラーの中に起こったことを述べる。それを3分。
つまり、「私は、肩に力が入っています」、「私は、喉が渇いてきました」などなど。
そして最後に相手の眼を見つめる練習を2分間。これが結構、キツい。相手の眼を見て2分間ってなかなかやれるもんじゃないなぁ。
前回は全く初めてだったので、勝手が分からなかったけど、今回は判っててもコトバが出てこない。なんか前回よりもダメな感じ。はぁ。