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あんまり吉本さんは好きじゃないんだけど、これはイイかなって。
http://www.1101.com/nihonnokodomo/2008-04-30.html
子どもは
「親が、わかってるんだけども何も言わないな」
と、なんとなく
推察するくらいでいい
で、いま読んでる「現代思想」の中で「いじめ」と「いじめ自殺」は違うから分けて考えようてな記事を読んで、これまた考えてる。でも整理が出来ないのでちょっと寝かしておこう。
学校で習ったことで身に付いていることと言えば、「せんせは怒らせないほうが身のため」、みたいな体罰がバリバリ時代のガキンチョにしてみればそれはそれは切実な処世術。でも、それだけじゃ足んないんじゃないか?と思い付いたのはごくごく最近のこと。
大人になってから色々有ったお陰で「そういえば、キリスト教ってのはなんなの?イスラム教ってなに?」と調べて書籍を色々読んだりしました。で、気が付いたのは、「なんでもっと早く教えてくれなかったわけ?」ということ。
歴史の出来事として「宗教」が登場するのはイイとしても、じゃなんでそんなふーになっちゃうのか?ということを先ずは知識として学ぶ機会があってもバチは当んないと、今なら思う。
ということで2ch方面ではめっぽう評判の悪いアカピー新聞社(@∀@)から出ているこんなのを読んでみた。
さらに小ネタとして面白かったのは、取材のインタビューに2名で出る宗教団体はちょっとヤバイという記者の直感みたいなのが紹介されているところ。さすがに色んな人の話を聞いていて、取材の量もハンパ無いとは思うけど、コメントの順番とか組み合わせを変えるだけできっとこの正反対の結論に持ってゆくことも出来るんだろうなと思わせる出来映え。あ、そんな穿った読み方はいけないとは思いつつ。
でもいまの日本の公立学校が、いかに「宗教教育」から腰が引けてるかはよぉ〜く判った気がする。
給食食べる前の「いただきます」で手を合わせちゃあいけないなんてもう終わってる。
ちなみにフランスも学校では宗教分離らしいけど、それ以前に人権ってのがものすごい力の入れ方で教育されているのを知るとあの聖火リレーの辺りの反応の仕方もなんとなく判るってもんだ。
まだ咀嚼出来ていないので、とりあえずここまで。
2/2にnebulaさんから頂いた「非属の才能」という本を朝とお昼の時間に読んでみた。
学校やら組織にしがみついて他人の目を気にしながら、列を乱さないように生きる、という選択肢に疑問を投げつけ、引きこもりの若者(もう若者だけじゃないけど)に対して「それでいいんだってば!」と応援してくれる、という本。
「引きこもりはさなぎ」だっていうくだりは河合隼雄さんのコメントを引用していてなるほどなぁと。先生、良いこと言うな、やっぱり。
前に書いた記事で「オトナになるってことはつまり、自分の我を抑えて社会に適合するってことらしい」ということを別の本からの引用で書いてみた。それは本当にそうだとおもうんだけど、この本の様に「学校も嘘ばかり」「組織に馴染んでも才能は伸びないよ」というのもある意味、その通り。ただ、「だから(北海道とかに)プチ失踪してみよう!」というのはそれ自体が既にマニュアル化してると思うぞ。>山田さん。
問題は、自分の判断能力として「あ、これはなんかやる意味無い」っていうことと「うぉ!これはやっちゃあいけないよな」っていう自分なりのしきい値を持てるか、ってことだろう。そしてそれはマニュアルにも法律にも書いてない。自分で試行錯誤しながら獲得しないといけないこの世の中で一人一人が生きてゆくとっても大事なモノなのだろう。それを持つことが人間が生きていく最大の目的なんだと思う。「幸せ」っつーのは、要は状態のことなので目的じゃないのね。
だから、自分で判断できる、いろんな人と関わりながら生きていける、そういう風に子供が育つように見守る、というのが親の仕事だと思う。守るじゃなくて見守る、怪我するまで手は出さない。怪我したら面倒みてやるよ、と。
真ん中ぐらいにでてくる一輪車の練習に出かける孫娘に声をかけるおばあちゃんの一言がそれを見事に表している気がするなぁ。
「いっぱい転んできな」
そして著者の山田さんのこの一行。
子供の未来は、「親が子供の失敗をどれだけ許せるかで決まる」(74p)
ということで、「これをR画伯の親であるyasuyukiに読ましとこう!」って思ってくれたnebulaさん(もう師匠と呼ばせていただきます!)に感謝。
そう、「学校のモンスター」もスッゲーよかったんだけど、これもなかなか。
ただね、もう少し、それぞれのインタビューがもうちょっと長くても良かったんじゃないかな。哲学(倫理)のとか数学のとこの内容をもっともっと読みたかった。そうすっととんでもないページ数になりそうだけど。この辺がいわゆる書籍の限界、かな。ネットで公開すれば良いのにね。
そんな中で数学の新井紀子さんのとこの文章を(長いんだけど)引用しておく。
「わからない」は悪いことじゃない。自分の世界を広げてくれるきっかけになる経験だと思います。
「わかる」ことは、「すぐわかる」から来たときは浅い。「わからない」から「腹が立つ」、だから「考える」、そして「わかった!」となったほうが深い。さらに、「わかった!」から「自慢する」、でも「みんながわかってくれない」、「悔しい」、だから伝え方を「工夫する」、そうしたら「みんなにもわかってもらえた!」・・・というふうに何層にも重なって「わかる」に至るときに、深く「わかる」ものだと思います。そういう意味でも、特に証明問題をたくさん経験するのは、子どもを育てるうえでかけがえのないことだと思っています。なんとなく「いいよ、いいよ」で来て、自分は数学がわかるのかわからないのか、得意なのか得意じゃないのか不明なまま、挫折したことが一度もないというのは、ちょっと怖いですね。(中略)
数学は「わからない」経験をたくさんさせることができる。「わからない」→「考える」→「わかった!」を毎日経験させることができる科目は数学だろう、と私は思います。
こんなことをキチンと伝えてくれたら、もう少し数学にチカラ入れてたような気がするけど、ちと後の祭り。
倫理のところの鷲田清一さんの言葉もイイ感じだなぁ。
(倫理は)教えにくくてあたりまえなんです。答えを教えるのが教育だと考えているかぎり、「倫理」は学校には合わないでしょうね。「倫理」は、あるいはもっと広げて「哲学」は、答えられるかどうかわからないけれども問わずにはいられない、というものばかりなんです。(中略)
人生で一番大切なことって、わからないことに、わからないままどう対処するか、っていうことじゃないですか?たとえば、人間はいつ死ぬかわからない、わからないまま、どう生きていけばいいのか・・・・・。わからないものを、無理やり自分の小さな持ち駒の中に入れて解釈してわかった気分になるのではなく、わからないままきちっと対処するのが、一番重要な問題だと思うんです。(中略)
問題が配られたら、まず「わかる問題」「わかるかもしれない問題」「わからない問題」に分けて、「わかる問題」から先にやる。「わからない問題」は捨ててしまう。でも人生は逆でしょう。わかっていることはもういいから、わからないことからやらなければいけない。ところが、受験勉強の方法が染みついてしまうと「わからない問題」をあっさり捨ててしまうことになる。「知る」というのは、見えているものを通して見えていないものを見る、という想像力の営みです。その想像力をどういうふうに培うかも教育の原点です。
とりあえず子どもを持つ大人は読んだほうが良いと思う。360°ぐるっと教育っていうものを俯瞰できるし、今の問題点もかなりクリアに見えてくる。一発逆転みたいな解決方法はなかなか見えてこないけど。
今日は、白金にある北里病院の先にある「神応小学校」を見学。
ここも創立85周年という歴史の長い学校で、ちゃんと地元である「白金のむかしのすがた」を振り返る展示があります。むかしはススキばっかりの野原だった今の慶応幼稚舎の辺り。今は見る影も無い古川もかつては勢いがあって、水車がいくつも回っていたらしい。展示品には、過去の卒業アルバムもあった。
で、卒業アルバムを開くと、当然、最初に出てくるのは「校歌」なわけで、よっく見ると...
「作詞:サトウハチロー、作曲:渡辺浦人」と書いてある。
このお二人、Wikipediaで調べるとスゴイコンビなわけです。「ちいさい秋みつけた」の作詞家と「赤胴鈴之助」の作曲家ですよ。ま、そんなことは通っている小学生には(きっと)何の関係も無いわけで。
プールもちゃんとあって、体育館もちゃんと広いし。周りが住宅地で幹線道路が近くないので、のどかな感じ。
お隣のマンションや一軒家の洗濯物が上の階から見下ろせる。建物は古い感じだけど、窓が広くて風が吹き抜けてキモチいい。
2年生の音楽の時間にお邪魔して見せてもらったんだけど、UAが「うたううあ」で歌ってたグリングリン、実は7番まで歌詞があるってこの授業で初めて知った。とっても重い歌詞なんですね。で、それを授業で使おうとする先生もいるわけで。
で、また更にこのグリングリン(正確には、「グリーングリーン」ですね。)の歌詞が生まれた経緯をググってみると...。詞を手掛けたのは、片岡 輝(かたおか ひかる)さんです。
とある。Wikipediaの記述はこちら。「・・・全く私の作詞でして,訳詞ではないんです。・・・」
う~ん、みんな判ってるのかなぁ。まだ2年生じゃ厳しいか。せめて高学年にならないと。あとは、親もちゃんと知っててほしいなぁ。
なんか学校の話から大分脱線したので、最後はちゃんと事実関係をば。
ここは上履きってのが無い校舎になってて、みんな出たり入ったりが随分楽そう。校庭がアスファルトなので、そんなに土を持ち込まないんだろうな。どこ見ても結構、きれいに掃除されていた。設備的には3階に和室があったり、図書館にソファーがあったり、PCがずらっと20台ぐらい並んでいたりと充実してる。
音楽室も楽器が一杯あって楽しそう。こういうのを大人にも公開してくれると楽しいかも。ちなみに給食室もあって、自前で作っている。理科の実験教室も広くて使いやすそう。
一応、UAのアルバムも入れとくか。連想(検索?)ゲームってことで。
これ、うちのちびっこのドライヴィングミュージック。もう一枚は、これ。
です。うちのはまだ年中さんですけど、幼稚園を選ぶ時に、「え!みなさん、2年前から下見してたのぉ~?」ってことで今回はあと2年あるけど、下見にGo。
今日行ったのは、麻布十番からちょっと南にあるZOJIRUSHIマホービンの本社の裏にある「東町小学校」。
全校生徒数 105名で、各学年1クラス。なのでみんな「1組」www。
やっぱり場所柄、日本人じゃないらしい生徒さんがちらほら。でもちゃんと日本語喋ってる。そりゃ、そうだろな。
いじめの対応とかを校長先生に聞きたかったんだけど、出張中。残念。
ま、中身はこんなものかなぁ、そこそこキレイではあると思う、施設は。休み時間は皆一緒になって校庭で遊びまくり。ドッジボールが流行中みたい。学校そのものは創立90周年だそうで。
ただ、校舎の南側の空き地にもうすぐ地上17階建てのマンションになるらしい。そりゃ麻布十番から歩いて15分ですから。バス停もすぐ傍ですから。都会の学校の宿命ですかね。