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医療が崩壊しているってのは実態としてはなかなか実感出来ない。だいたい病院なんて病気になって初めて行くところだし。
つまり、そういうある意味、素人にとっては極限の状態に遭遇して初めて「うわっ!なにこれ?なんでこうなんの?」っていうことなんだろう。
ちょっと前に発生したアキバの連続刺殺事件を題材にした救命医療のテレビ番組がヒドかったという話に反応してみる。
あの時の緊急/救命医療の話をフジテレビが番組として訴えた内容に対して、医師の側から見た時のブログの記事がずっとアタマに残ってて(というかブラウザのタブにそのままになってて)、なにか書きたいと思ってたんだけど。
この番組のように、現場で奮闘した救急隊員のミスをむやみに誇張して報道するのなら、
日本の救急医療は完全に破壊されることでしょう。
だそうです。元の記事はここ。
このブログのひともコメントで書いてるけど、「それは世界の常識と比べてみてどうなの?」っていう都合の良い「後出しじゃんけん」的批判は、自分の立場を安全地帯に置いておいて、しかも現場の人の苦労を見向きもしない、という最悪のやり方だよな。
そんな後出しじゃんけんじゃなくて、自分が医師だったら救護隊員だったら、何が出来た?そして出来なかったとしたら、それはどうして? という問いかけをしない限りは、単なる外野のヤジだし、周りをヘンな方向に誘導するだけだ。
しかし、前に書いた小児医療の話も深刻だけど、そういう狭いジャンルだけがオカシくなってるんじゃなくて、もう医療全体がヤバイという悲痛な警告、だと思う。
医療に携わってる人たちは自分たちの意見を代弁してくれる政治家を持つなり、ロビー活動をしないと、ホントに変化は起こせない、と思うなぁ。あとはちゃんと個人としてではなくグループとして発言し続けないと。個人に依存してたら、疲弊しちゃうよ。
そしてそういう疲弊の先には、諦めと絶望の荒野が広がるんだろうな。もう足元で広がってんのか。
病気になって病院に行ってみたら、だれも居なかったという事態だって起こりえる。そういう非常事態だって思ったほうが良いんだろう。教育も大事だけど、医療もスゴく大事。
ということで何が出来るんだろうか、自分で。考えてみようっと。
まだ途中なのにちょっとメモっておこうと。
なんで「少年」なのよ?「少女」だっているだろ?ってのはおいといても、この中の一章、「『中途半端に理性的』な人間と犯罪抑止力」という短い文章が、ショックを与えてくれた。人間ってそんなに理性的かつ計画的なもんかぁ〜?って話。
特に未成年なんて、理論で裏付けされた計画に沿って(例えば)殺人なんて実際はやっていないんじゃないか?それを後付けで「生来から・・・」なんて言えるのか?という提言。
世の中、厳罰化に向かってるけど、「罰を強くすれば、罪は減る」というのが幻想だというのがよくわかる。ただ、被害者の気持ちをもっと考えようよ、というのはもっとよくわかる。
とりあえず、最後までよも〜 > 自分。
う〜ん、Book Shuffleのmocholaさんの感動的な記事に「いいなぁ」なんて思いながら、実はその時に読んでたのはこれ。
ルポライターの渋井哲也さんの書いた「若者たちはなぜ自殺するのか」という本。
渋井さんが取材した自殺してしまった若者と未遂で終わった若者に対するインタビューを元にどうして自殺するのか、どうして自傷行為が止まらないのか、援助交際の持つメッセージとは何か、自殺に繋がる「生きづらさ」の発端は何か、などを淡々と事例ベースに書き残している。
最後の章がまとめというよりも、これまでの事例をベースにその「生きづらさ」という厄介な代物を「じゃ、何をしたら他人に伝わるだろう?」、「でも、伝わっても判ってくれなかったら?」、「親が判ってくれなかったらどうする?」などという段階に分けて「こうした方がいいかも」ということを具体的に提案している。
ある意味、このパートでは、単に観察者という領域を踏む超えて、当事者としてのスタンスで「死なないで欲しい」という熱い思いが伝わってくる。
「生きづらさ」の原因のひとつに親との関係というのがある。その中のひとつのパターンとして、両親が教育熱心、お稽古や塾などにも通い、「あなたのためだから」という名目のもとに期待をかけられ、その期待に押しつぶされるかのように自分を否定する、「親の期待に応えられないダメな自分」を消し去りたい、リセットしたい、という願望の果てにある究極のリセット方法、自殺、というのがいくつかこの本にも出てくる。
そんな時に原因をつくったはずの親との関係を修復したい、のに出来ない、じゃどうしよう?というところで
子どもは理解を得られない親を精神的に捨ててしまい「この親は理解できない・理解を求めても無駄」とあきらめてもよいのではないか。
なかなか理解できない親に対してメッセージを送り続けること自体、生きづらさを深めてしまう。
とかなり大胆な提言をしている。そして理解してくれる「親の代わり」を見つけよう、と。
追記:マキさんがメッセージくれた。夜回り先生も「判ってくれない、暴力を振るう親なんて捨ててしまえ。世の中にはイッパイやさしいオトナがいるんだ」てなことを言ってるらしい。その通りだと思う。
子供は親を選べないし、ましてや独りで産まれてくることも出来ない。そういう状況で、ある人は家庭内暴力(DV)という形で自分の生きづらさから抜け出ようとし、ある人は自分を壊す、傷つけることでそこから逃げようとする。現れ方が違うだけで実は根幹は一緒なんだなと思う。
「生きづらさ』という視点でDVに行き着く人も自殺する人も引きこもる人もいる。そしてそのかなりの部分の影響を与えられる、というか原因となるのが親という人間なのだ。
人間が社会を必要とする生き物であるとして、親子関係も含めたそういう社会の中で、如何に生き抜いていくのか?色んな例を元に「生きること」「死ぬこと」を考えさせられた。
良く言う「死んだら何にも無い」「死んだらおしまい」というのは自殺が目の前に立ち上ってくる人には逆効果なんだなと感じた。「何も無くなりたい」「消し去りたい」から自殺という選択肢が浮かんでくるのだ。
文体は軽いのにタイトル通りの重い本でした。「魔女」早く届かないかなぁ。まじょ〜〜〜。
「犯罪といじめから子どもを守る幼児期の生活習慣」という読んでそのままという本を読んだ。幼児を持つ親向けのシリーズらしくこれが5年目(第5期)の2巻目。ホントに読んでそのままの犯罪やいじめから守るために親が持つべき心がけと具体的な手法を解説してくれる。
なるほどと思ったのは、いわゆる幼児が被害者になってしまう犯罪の場合、「不審者」という単語がたまに使われるんだけど、実際には外から見てわかり易い「不審者」なんて人はそうは居ないんだと。実際には加害者となるのはほとんどが普通の人で下手すると顔見知りの人なのだと。そして実際に犯罪が起こってから、「どうして?」という原因を探ってもほとんど意味が居ないし、センセーションに扱えば扱うほど、逆にアナウンス効果的に追従する予備軍が増えてしまう。犯人の生い立ちとかを根掘り葉掘りスキャンダラスに報道するマスコミもどうかと思う。
犯罪原因論を追求するのではなく、犯罪を予防するためにはどうすべきかという「犯罪機会論」に注目して「犯罪が起きないように環境を整える」ことのほうがよっぽど効果があるというのは、自分が何かすることによって実際に変化を作ることが出来るという意味でよっぽど積極的で精神衛生上とってもよろしい。
実際にじゃぁ、どうやったら予防出来るのか?この章の著者の立正大学の小宮信夫さんによると犯罪が起きやすい危険な場所というのは、「入りやすい場所」「見えにくい場所」であるらしい。ということは、子どもの行動範囲からこういう誰もが「入りやすくて、見えにくい場所」を排除すればいい。そしてその具体的な方法として「地域安全マップを作ろう」という提案をしている。これは、子供が自分で地域を歩いて自分たちの目で「入りやすくて、見えにくい場所」を確認していくという活動。そして最後にはグループで発表をしましょう、と。その活動を通してちゃんと地域の人とも話をして顔を覚えてもらったら一石二鳥。これってホントにいいことだなぁ。是非、地元の小学校にはやってもらいたい。
ここで大事なのは大人が先回りして「ここが危ない!」とかの知恵を付けさせずに自分の目で見て判断させる、という点。自分たちで見て自分たちで判断する。それを通じて自分の判断基準が出来てそれを他の友達とも共有する、それを通して「あ、そういうこともあるよね!」とか「お、そうかぁ〜」という発見がある。
大人の目標は「子供を自立した人間に育てる」ことなので、先回りは要注意です。
第4章に「いじめ、自殺から子どもをまもるには」ということで内田良子さんというカウンセラーの人が書いている文章に反応してみる。
昔に比べて大人が情報を持ち過ぎていることから子どもを選別する目がキビシくなっている。つまり、昔なら「ちょっと元気があるよね!」という程度の子どもも今だとADHDだのアスペルガー症候群だのを疑われて病院に行けと。子供は30年前から変わっていないのに子供を見つめる大人の目が変わったと。
そんな内田さんの文章から。
受験戦争やら学歴主義やら「イイ学校出てイイ会社」なんていうルートに乗っかって生き抜いてきた先輩諸氏がどれだけ柔軟に子供たちを、特に昔的に言うと落ちこぼれ的な子供たちを受け止められるかは甚だギモンではあるけど、学校以外の受け口というのは大賛成。いじめのターゲットになっている子どもは、教室という容器から外に出るしかないと思います。その場合の、もう一つの道は学校の集団の中で子どもがギブアップしても、地域の中で学び、育つという畑を耕すことが必要です。例えば、2007年あたりから団塊の世代が定年退職し、地域に帰ってきますから、この人たちの豊かな経験や社会的実践を子どもたちのために使ってくれればいいなぁと思います。
あと、きっと内田さんの直感だと思うけど以下の文章。
ここの部分をもう少し掘り下げて欲しいなぁ。直感だけに当ってると激しく思うけど。学校でいじめ・いじめられる関係にある子ども同士が、塾だとそれが無いという場合があります。学校という囲いの中だといじめがあり、塾のような囲いのない場所だとなくなる。だから、今の学校のあり方の何かがいじめの根源だと思います。
何が問題なのか、構造なのか、ルールなのか、それとも社会のあり方なのか、その辺りまで掘り下げないときっといじめや引きこもりで悩むワカモノを横に見ながら親予備軍のワカモノ達は子供作ろうとは思わないだろうし、出生率もそりゃ落ちるわな。
自分でももちっと考えてみよう、人に任せずに。そのほうが精神衛生上、非常にヨロシイので。
つい最近、「病院の医師たちの働く現場というのがどれだけ過酷なのか」という調査が出たというニュースを見た。
結果は、非常に辛いものらしくいわゆる一般的な他の仕事をしている身からするとある意味、非常識なぐらい。
そういう中で小児科を廃止する総合病院が増えている。なんでかなぁ?と思っているところに図書館で見つけたこんな本。
要は、小児科は他の内科や外科などの言うことを聞いてくれて手間のかからない大人が相手の診療に比べて桁違いの手間がかかる。それに子どもが相手だと大人と比べて使う薬剤の少なく、結果として診療報酬が少ない。つまり、手間がかかる割に売上が少ない。しかも、夜中に駆け込んできてすぐになんとかしてくれ、で、対応が後回しになればなったでクレームは来るは、ひどい時にはすぐに訴訟を起こされる。そういう現場なのだ。
この本は、かつて小児科医であった自分の父親が過労で自殺するという経験をしながらも、自分も小児科医を目指して実際に小児科医として働き始めた千葉智子さんという新人の小児科医と重い病気を抱える娘をもつライター堀切和雅さんの共著ということになっているが、内容は殆どが小児医療に関わる医師たちへのインタビューという形式をとっている。
そのために非常にリアルで生の声が聞こえてくるといういい部分もあるのだが、いかんせんちょっとまとまりが無くて読んでて辛かった。もう少し、問題を整理して、ちゃんとした文章にして欲しかったなぁ。
それぞれの立場の人がインタビューに答えて、それぞれの意見を言うんだけど、結果として病院としては「儲からない」部門、採算の悪い部門。勤務医側からすると単純計算で時給1500円くらいの商売。しかも責任が重い。それでもなんで小児科が持っているかというとやっぱり子供と接することによって救われるという、もう奇跡的なぐらいの「志」に依存している。
冒頭のほうにあった「あなたのこどものいのち、疲れ切った小児科医に任せられますか?」という質問を貰えば、大体の人は、そんなのはやだ!と反発するんだろうけど、じゃあどうしたらいいかという回答は一般の人の中からはそう簡単に出てこない。そこにはいわゆる医療(医学ではなくて)という特殊な業界を理解し、それが自分たちに実は密接に関わっているということを理解することから始まるんだろうと思う。
その上で、夜中でも開いてるから駆け込んでみるコンビニのように小児科を使わないとか親のほうが考えて行動するしか無いんだろう。
この辺も核家族化して自分独りで子供を育てるという現在の異常な子育てに関する状況が顕在しているなぁ。これってもう社会問題だな。
ちょっと前に図書館から借りてて「う〜ん、重そうだなぁ」と開いてもいなかった「暴力は親に向かう」という、かなり具体的(衝撃的?)な題名の本を読んでみた。
普通、教育に携わってきた人が書くと自分の過去を否定したくない的な無意識が働いてあんまり教育システムに対するフカボリはしなそうなもんだけど、この筆者はスゴいなと思った。
全体の流れを追うために目次を見てみる。
第一章 激増する家庭内暴力
第二章 奴隷化する親、暴君化する子供
第三章 『普通の子」が暴力をふるう理由
第四章 「勝ち組教育」が全ての根源
第五章 家庭内暴力とどう向き合うか
一章では件数とかの外側と事例に沿ってどうやって家庭内暴力が始まるのかを紹介し、二章で具体的な例を挙げ、「どんな家庭でも暴力は起こり得る」と解説し、三章で具体的に家庭内暴力に至る経緯を解説する、という所までで、この人が対峙してる事例の半端じゃない多さを思い知る。
三章で親に暴力を振るう行為に至るまでの過程を「家庭内冷戦」と表現してその段階を4つに分ける。
「肝心な話をしない」、「会話が無くなる」、「暴言を吐く」、「家庭内で腫れ物に触るように接触が無くなる」。そこまで行くともう暴力の突発、暴発はすぐそこだ、と。
そしてその段階に進んでしまう原因を「友達親子」という言葉に集約する。これはどうやら親として「断固たるNo!」を言わなくなった世代の発明品らしい。上から「こうしろ」と子供を押さえつけることが無くなり、「子供のしたいことをさせ、友達のように付き合う親」といういかにも「子供の自主性を尊重」しているように見せながら、無意識のうちに親のエゴ、「もっと良い学校、もっと良い会社」に入って「勝ち組路線」に乗って欲しいという親のエゴがどれだけ子供に影響を与えているのか。
それから、問題の第四章。この本の中でこれだけ強調しても足らないぐらいに強くハッキリ書かれている。日本を覆ってしまった「格差社会」で生き残って行くためには「勝ち組路線」に乗れ、そのために「勝ち組教育」が必要だという刷り込み。そしてそれに疑問を抱かない親、特に父親。子供のために良かれと思ってしていることが、結果的に子供を苦しめ、さらに自分や配偶者を暴力に晒してしまう。加害者だと思われた子供が実は被害者で被害者のはずの親が実は加害者だったという冷静な見方とそれを裏付ける様々な事例。
最後まであっという間に読めるけど、書かれていることはシンプルでしかもハッキリしている。特に第五章は「家庭内暴力」に対する具体的なチェックポイントや対処法が書かれていて非常にわかりやすい。
まず、「休戦」して親と子供を分離させ、「多様な体験」をさせ勝ち組路線以外にも選択肢はあるし、勝ち組になる人は一握りなんだと確認させ、「自分道探し」を人にやらされるんじゃなくて自分で始める。それにちゃんと注意事項までご丁寧に書いてある。ホントに丁寧でわかりやすい。
休戦というところで紹介されている事例、67歳の母親と離ればなれになった40歳の息子が暴力を振るうために母親を取り戻そうとする企みとして庭一面に真っ赤なカーネーションを植えて母親を待つ。それこそいとおしいおかあさんとでも呟きそうな顔で。そしてその姿に騙されて息子の元へ帰った母親を待っていたのは、更に激しい暴力だった。悲惨を通り越して気も狂わんばかりの執念と執着、そして親離れ・子離れ出来ない母と子の姿が恐ろしい。下手なホラーもシッポ巻いて逃げ出すような悪寒がする。
最後のほうにあった印象的な文章を引用してみる。263p
親の本来の役割は、「子供を大人に育てる」ことです。そのために、「子供の価値観を育てる」ことです。親の役目は、子供を「勝ち組」にすることではありません。
前に読んだ「家族力」とかとも通じる考え方だなぁと思った。インドの諺にこんなのがあるといって紹介するのがこれ。
なるほどねぇ。さすがにどこに行っても人間を育てるというのは普遍的なもんだなと思う。「子供は、3歳までは、家の王様
7歳から12歳までは、家の奴隷
15歳を過ぎたら、家族の友達」
前に読んだ斉藤学さんの「男の勘ちがい」という本にあった親の仕事という部分、
これにも通じるなぁと。親の子育ての仕事の中には、規範の受け入れということが含まれていて、それをわかりやすく言おうとして私は「子どもに欲求不満を起こさせる(怒らせる)仕 事」と呼んでいる。「我慢させる仕事」と言ってもいい。この仕事は「子どもを抱く仕事」や「子どもと別れる仕事」と並んで親の三大仕事のひとつであると思 う。
良い本でした。
反抗期を「やだなぁ」なんて感じてる親の人は是非、読んだほうがイイ。子供にとって反抗すること、失敗すること、親という壁にぶつかることがどんだけ大事かってのがよくわかった。
あと、「勝ち組」ってつくづく悪い言葉だなぁと思う。実際にはほとんど居ない、幻みたいなモノなのに。
Ericさんの教育再生会議の記事でちょっと考えてみた。教育ってやつを。
いままで、どちらかというと「ちびっこ5歳」つまり「目の前にある危機」(Clear and Present Danger , Tom Clancyね)として「いじめ」ってのを色々と調べたり、考えたりしてきたんだけど、どうやら、オカシな一人の個人が原因でそれがおこるわけではなくて、システムの問題らしいと思えてきた、のが今まで。どうやら、学校やらそれを支えてきた大人=自分たちの常識とか慣習、システムってのをなんとかしないと「こりゃ、無くならないなぁ」と思った。
で、Ericさんの記事で官邸主導の教育再生会議ってやつのWebサイトを見てみて、「こりゃ、だめだわ」って今更ながらに思った。安倍さんの仕切りで粛々と進んでいるのはとってもよろしいと思うんだけど、3/29の議事録が未だにUpされないってのはどうなのかなぁ。ま、それは瑣末な話なんだけど。
Ericさんの記事でちょっとヒントを貰ったのは、つまり、教育ってーのは、「教える側」(教師や学校の仕組み、それに教科書などなど)と「教えられる側」(生徒、児童)の二つという構成要素、なんてシンプルなモノではなくて生徒を中心に色んな要素がそれこそ原子核の周りを回る電子のように色んなオブジェクトが引っ張り合ったり干渉したりしながら、中心にある核を大きくしていく、というか核が育つのを助ける、というか全てのオブジェクトが大きくなる、豊かになる、という遠大な仕事なんじゃないか。
なので、平面的に
「学力が落ちた」→「朝早起きして百ます計算だぁ!」→「武道館で学力向上国民大会だぁ!」
「国を愛する気持ちが足らない」→「道徳の時間を増やせぇ!」→「週に1時間だぁ!」
なんてもんじゃないと。
で、色んな人が議論してたり、考えたりしてるんだけど、その議論の場で親と教師がないがしろにされている気がする。教師も親も最も子供に接している人間のはず。それを当たり前のように「学校で教える人」、「家庭で教える人」ってひとくくりにしている。教師だって色んな状況があって、うまくいったりダメだったりする生身の人間だし、親だって独りでノイローゼになりながら頑張っている人もいれば、塾だなんだでCoCo壱カレー全部アリみたいな人も居るように様々なわけだ。
子供には個性を伸ばして、自分らしくなんて言いながら、教師と親には「キチンと授業をさせよ!準備が出来なかったら残業しろ!」、「ちゃんと話をして躾をしろ!テレビばかり視させないで本を読ませろ!」なんてまぁ、都合のイイお話だな。フランスが徹底的に「大人優先」だとしたら、日本は徹底的に「おこちゃま優先」の国だと思う。
なので、どちらかと言えば、子供だけに注目した改革ではなく、もっと色んな教育の方法・状況を支えられる意識、常識をみんなが持つこと、そしてそれを支える具体的なシステム、学校とか塾とか試験制度とか地域の教育の場が大切なんじゃないかと思う。もっと具体的に言うと、30代の母親一人で小学校4年生を大学生まで育てられるシステムとそれを実現させる意識・常識ってことですな。
あと、やっぱり「お金」のことをもっと具体的に教えて欲しいなぁ。金融機関がやるTrading Roomの見学なんて意味無いと思う。それより、先生はどうやって生活しているのか、教科書はどうして自分のところにくるのか、学校の前の道はなんでキレイになっているのか、地震があったらボランティアはどうして(どうやって)助けてくれるのか、という身近でタイムリーで具体的なお金の流れを説明して欲しい。株式の話なんてもっと後で良いと思う。
世の中、基本の基本はお金なわけでその仕組みを知らないのは余りに片手落ち。日本の輝かしい歴史もいいけど、ちゃんと支えてきた裏方さんというか事務方さんの功績をもっと理解させるのが、世のサラリーマンである親たちの実情を知らしめる最も良いサンプルだと思うけどな。
などなど。まぁ、まとまらないので今日はここまで。
齋藤孝さんの「友だちいないと不安だ症候群につける薬」を読んだ。
なんともキャッチーなタイトルでしかも「友だちいないと不安だ症候群」ってリズム感のイイ名前付けが冴えてる。
しかし、内容は、その症候群を発病してしまう原因を「友だち力」の無さ、で、その「友だち力」をつけるためには「偏愛マップ」でまず自分の好きなことを書き出して、それを見せ合おう、そして自分以外のひとのマップを見ながら、話をしよう、話を聞こう、そして「いいな」と思ったら、ちゃんとその影響を受けて相手に返してあげよう、でもね、独りで居るってのも必要だし、別に友だちが居なくても心配しなくてもいいよ、というのが前半。
そして後半、4章は1986年に「葬式ごっこ」で自殺してしまった鹿川くんとその周辺の人間を取材した「葬式ごっこ 八年後の証言」という本の内容をテキストにした実験的な授業の話。最後の5章はまたまた「友だち力」をつけよう、それも早い時期に、と非常に不安定な中学2年生とその親に向けたメッセージでまとめ。
齋藤さんの話は、わかりやすい。でも、
例えば、研究者などは研究室にずっとこもっていてあまり友だちづきあいをしなくても、満足が得られます。でも、そういう人も私は、友だち力があると思います。それは、ある意味で友だちとの距離感がわかっているから。自分は友だちとはるか遠くにいることで安定するということがわかっているのです。
と書いてるけど、そんな簡単なもんか?って思っちゃう。そんなに簡単に「あります」とか言えちゃっていいのかなと。「満足が得られます」という部分と「・・・あると思います。」との因果関係がようわからん。
人間ってとっても不思議で不安定で多面的で厄介なもんじゃない?そう簡単にAだからBって言われても、ねぇ。
でも4章は、ある意味スゴかった。この「葬式ごっこ 八年後の証言」は読んでみようかなと思った。直接の加害者ではない間接的加害者、要は傍観していた独りの少年の告白が齋藤さん曰く「強いテキスト」として引用されている。
人の生命を支えることは、相手に共感を持って話を聞くだけでも、彼と楽しくやさしい思い出をたった一つ、つくるだけでも、可能になる。ほんの小さなことでも、人の生命を守ることができるのだ。そのことに気づいていれば、決して彼を殺すことはなかった。
この岡山君は傍観者ながら、「鹿川くんを殺してしまった」という意識を明確に持っていること、そして
いま、怖いものは、何もない。自分が弱い人間であることを隠す必要がなくなったからだ。
とようやく自分を見つけた、という部分が確かに強いリアルな言葉として心に残るなぁ。
あといじめはまずは言葉からだ、ということで最近のワカモノが使う、「キモイ」と「うざい」が如何にいじめの発端となっているか、を検証しつつ、
例えば、母親に「ムカツク」とか「てめえ」とか言ったとしても、父親がそれを叱らないでいると、子どもをコントロールすることは不可能になります。それで高校一、二年までいってしまうと、反省するという回路がもう育たないので、一生反省しないという回路に入ってしまうのです。
うはぁ〜、そこまで言い切らなくても!って思うけど、ゼロトレーランス的な発想で行けば、これは絶対に厳しくしないとダメっていう部分ですね。面白いのは、そういう良くない言葉による学級崩壊を立ち直らせた例として学校でお互いを「さん」づけ「くん」づけで呼び合った、というのがあって、これなんかホントに言霊っていう部分かなぁと思う。悪い言葉には悪い力が、でも良い言葉には良い力が備わっている、という証拠みたいなもんか。
最後は、これ。
実は感情というのは文化なのであって、生まれつきの感情というのは頼りにできません。
というのが本質をついてるなぁと。怒りとか憎しみなんてのは文化、つまり大人からの刷り込みなんですよ、だから大人がちゃんとしてれば、おかしくならないんですよってこと。
大人は(も?)大変だぁ!
「子供を狙え!」ってタイトルは所謂、マーケ指南書のように響くんですが、内容はどちらかというと警告の書、という感じ。
ちゃんとサブタイトルに「キッズ・マーケットの危険な罠」とあるように大人にとってというか企業にとってと言うべきか、ここに手を出すのが如何に魅力的で、だからこそ危険でそして人としての倫理に反することなのかを様々な証言と共に教えてくれる。
しかし、アメリカという国が如何に病んでいるのかよ~~~く分かった。
でも、ちゃんとその中身を分析してこういう風に警告してくれる人がいるというのもさすがアメリカだ、と。
表紙の写真がとても衝撃的(は、言い過ぎか)だったので、最大で置いてみます。
きっと日本でもこれを読んで、「あ~~~~、ダメじゃん。言っちゃあ!」って思っている人は大勢居るんだろうと思われ。
折角なので、引用しつつ総括してみよう。
ということに気づいてしまった筆者は、「どうしてそんなにも消費に向かうのか?」というギモンを抱く。もちろん、多様なアメリカ社会だから、アメリカは世界で最も消費志向の強い社会である。どの工業先進国よりも長時間働き、貯蓄率は低い。個人への貸し出しは限界点に達し、およそ150万世帯が毎年自己破産を宣言している。
がいるのも知っている。ま、ナチュラルフードを食べてオーガニックコットンの服を着てる人ってとこか。ところが、「より少なく働き少なく消費し、よりシンプルに生きる、余暇の多い生活、家庭重視の生活、自己重視型の生活といったダウンシフティング派」
ということに気づいてしまう。つまり、「子どもは消費市場を家庭に持ち込む重要なパイプだったのである。」と。「彼らはより少なく働くだけでなく、消費者のライフスタイルを拒絶するが、子供を育てているダウンシフターがほとんどいないのが不思議でならなかった。(略)やがてその理由が分かってくる。子どもを作らないのではなく、子どもがいないからこそ彼らは、ダウンシフターに徹することができたのだった。」
そこで、どうして消費文化の中で子どもが占める重要な役割をしめることになってしまったのかを調査・分析することになる。その結果がこの本なわけだ。
大企業が手を変え品を変え、子どもの市場に様々な仕掛けで「消費しろ!ものを買え!」と迫る様子はマーケティングという仕事に一応は関わっている身からすると鬼気迫る迫力がある。友達を利用したり、学校で広告を流したり、教師を取り込んだり、まぁ、よくもこんなに手法が考えられるなと思う。
リサーチと称して様々な子どもが集められ、一堂に調査が出来るという意味では、学校というのは教師が協力さえすれば、理想的な市場調査 兼 売り込み、刷り込みの場なんだろうな。
子どもに対するマーケティングの目的とは、結局のところ、「親と子どもの間に企業の市場関係者が介入し、親とは関わりのない理想郷を創りあげて、ぬかりなく親と子ども別々に二次元的なメッセージを送り続ける」ことで、結果として子どもが親に「アレを買って!」とおねだりをさせ、親を根負けさせる、ということなのだ。
二次元的なメッセージというのは、要は「親はダサい。クールじゃない。クールなのは、NBAの選手やDJだぜ!」というメッセージを送り、それに乗っかった段階で「で、そのNBAのスターが履いてるスニーカーはこれ。いつも食べてるのはこれ。親に反対されても大丈夫!君の言うことは聞いてくれるよ。」とささやき続けること。
企業側が巧妙なのは、そういう魂胆を見抜かれ、様々な団体から総攻撃を受けたとしても「第一に、企業は子ども能力を向上させているという主張を展開し、第二に、子どもへの広告は健全な企業基盤を維持するのに必要と訴え、最後に、罪は親にある」という意見を展開してその攻撃を避けようとするという点だ。この辺は、消費者団体が強いアメリカ、そして政治家へのロビー活動が盛んなアメリカ、という二面性が見えて面白い。しかし、親と子どもを分離させるようなメッセージングをやり続けながら、「ブランド物を買ってしまう(ジャンクフードを食べさせてしまう)のは親が悪い」という結論に導いてしまうのは、なんともアタマがいいなぁという感じ。この辺は、いかにもアメリカのインテリが考えそうな言い訳。だって、実際にお財布を握っているのは親なんだから。
一番、成功している企業としてNickelodeon(ニコロデオン)が紹介されている。日本語サイトもある。そこのマントラは、
「Kids Rule」(子どもが支配する/決める)という。ターゲットは子ども、しかも「親は関係ないぜ!」って意思が良く伝わる。
最後に119pにある広告代理店のVPのコメントを載せとこう。
「最高の宣伝とは、この商品がなければあなたは敗者だと思い込ませる広告です。(略) こうしたことに子どもは非常に敏感で、敗者扱いされると傷ついてしまいます。だから、もし買わなければ敗者だとあざけられると、いくらかは抵抗しても、子どもはいわれるままにします。広告が子どもの傷つきやすい感情を刺激し、むき出しにしたからです。このように感情的にもろい子どもは、とても扱いやすい存在なのです。」
昔読んだ、「All Marketers are Liar」の逆で「こういうストーリーがあるからこの製品はイイ!」という褒めて買わせる方法もあれば、「このクールな製品を買わないお前はダメ!イケテナイ!そんなんでいいの?」と脅して買わせるって感じか。
ちなみにアメリカの人口は世界の4.5%に過ぎないのにアメリカで売られる玩具は世界の45%なんだそうだ。
つくづく今の時代の、特にアメリカの子どもは大変だと思う。ある意味、下手なスリラーよりも怖い本だった。
今日は、港区主催の通称「夜回り先生」こと水谷修さんの講演を聴いてきた。
青少年の夜間の徘徊を監視して、非行を未然に防ぐというモノスゴイ時間と労力のいる仕事を続けてもう16年目に入ったということらしい。
約1時間半の間、自身の活動と過去の事例を話してくれた。シンナーに侵されて亡くなった少年の話、HIVに感染して亡くなった女性の話、自身が勤務していた横浜の定時制高校の話、どれもリアルで重い話だ。
そして如何に薬物が恐ろしいかを切々と語る。薬物依存は「愛の力と罰の力では直せない。専門家による治療が必要だ」。自身の判断のミスから亡くなってしまった一人の少年とその親のエピソードが水谷さんを薬物依存、ドラッグに向かうきっかけとなった。
ただ、なんとなくだけど、「単独世界一周ヨットの旅」ってのを思い出した。つまり、たった一人でヨットを操って世界一周するというある意味非常に危険な冒険。しかし、いわゆるこの行為はヨットマンにとってはそれほど輝かしいものではないと昔、ヨットを習った時の先生が言っていた。つまり、複数人で力を合わせることで成し遂げられるものがあり、その代表格はアメリカズカップという過酷でお金が掛かるレースなのだが、そっちのほうがはるかにきついと。ま、そりゃそうだ。アレだけOracleだのSAPだの名だたる大企業がシンジケートを組まないと勝てないレースなんだから。
でも、なんでそれを、つまり「単独世界一周ヨットの旅」を水谷さんの話から連想してしまったかというと、個人の行為、しかも他の人が真似できないなぁと思わせるような行為だからじゃないだろうか。
講演の冒頭で「もう3日も一睡もしてません。メールの返事を書いたり、電話に答えたり、当然、夜回りもしなければいけないので」と仰っていたけど、それこそまさに常識的な人間がのけぞるような生活だし、言ってしまうと異常に思えて仕方がない。
僕のような一般人から見ると一種のスーパーマンな訳で、スーパーマンが一人いてもやっぱり一人の時間は24時間しかないわけで出来ることには限りがある。しかもスーパーマンなので「オレには真似出来ない」と誰もが思うんじゃないだろうか。つまり、それぐらい凄まじい行いを見せ付けられている。
掲示板も閉鎖しなければいけなくなってしまったようでますます、夜回り先生が個人で出来ること、講演とか執筆とかに範囲が狭まってしまう。なんかもっと集団で出来る枠組みを考えられないモンだろうか。つまり、誰もが夜回り先生の真似をしろと言っても無理なんだろうが、少しでもその行為に加担出来る、つまり、自分の時間を週に1時間だけ割くことで協力できる仕組みつくり。そういうのを期待してもダメなんだろうか。やはりご自身は子供と直接向かい合う一人の教師、という意識なんだろう。
まずは、自分の周りにいる子供たちに声を掛けて褒めてやりなさい、家族仲良くしなさい、ということなんだろうか。
いじめに関しては、あんまり突っ込んだ話は聴けなかったが、いじめが起きるのは親の問題、ひいては大人の問題だ、そこを無視して登校停止なんか意味が無い、ということで加害者の登校停止には絶対反対らしい。話せば判ると。
また、小泉内閣は血も涙も無い冷血でその結果、格差社会になった、石原慎太郎もあれはダメだと。教育再生会議も基本がなっていない、つまり子供のことだけをクローズアップして大人側がほったらかしなら意味は無い、とかなり厳しい。「義家は何やってんだ」的な発言が何度か。子供と本気で向き合うなら、電話番号とメールアドレスは公開しろよ、やってるのは俺だけじゃないか、だそうで。
基本的に「偉人伝」っぽく聴いてしまった自分はやっぱりちょっと斜めに見てしまっているのかなぁ。あの「教室の悪魔」とか「君を守りたい」のような、あなたに何かをして欲しい、そのためのきっかけはこれです、まずはこれをやってください、というような普通なら何も出来ないと思っている一般ピーポーのところに降りてきて具体的な行為を促してくれるマニュアル的な話ではなかったことは確か。ただ、「よ~し、今日からカミサンのことも子供のことも褒めて褒めて褒めまくるぞ~」と思った人は居るかもしれない。
参加していた大部分は、所謂お母さんだったけど。