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どうしてもVoxからいつものAmazonさん経由で本が追加出来ないので、むりやりVox This してみた。
被害者の視点で、「被害者を救うにはどうしたらいいか?」というところから更に一歩踏み込んで、加害者というのはどういう人なんだろう?という、まずもって女性としてはとてつもない勇気が無いと出来ないような領域に足を踏み込んでしまったカウンセラーの書いた本、といえばいいのか。
オトコとして読めば読むほど、その観察力にビックリする。「悪い夫は良い父にはなれない」とか「オトコの性犯罪は計画的だ」とかもう、恐ろしいぐらいにズシッと来る。
だいたいDVというとオトコが加害者、オンナもしくはコドモが被害者なわけだけど、そのオトコ=加害者、オンナ=被害者という構図が、「お前がダメだからしょうが無くて殴るんだ。そういう意味ではオレのほうが被害者なんだ」という自分中心の勝手な論理で加害者と被害者がすり替わってしまう、というよくある展開を見事に分析している。
なぁ〜るほどね、こうやってオトコは自分を正当化するのだな、ということが判る。
そして性犯罪の加害者を分析するところでは、「つい出来心で・・・」なんていう嘘をキチンと解き明かしてくれる。痴漢は完璧に計画して実行しているらしい。やったこと無いから判んないけど、その心理分析はうなずける。こうやってみるとオトコのいうのは、つくづく哀しい生き物だなぁと思う。
DVの被害者にとって、「まずは逃げて。生き延びて。」という段階から、「逃げるだけでは解決しない。オトコが変わらなくては」という一歩先に視線を移して「じゃぁ、どうやったら、逃げるだけじゃなくて相手を変えることができるの?」という部分にも具体的な提案があって、うん、これはスゴい説得力。
二日ぐらいで読み通せちゃったけど、もう一回ちゃんと読んでおこう。オトコの端くれとして。加害者にならないために。
この本について書こうと思うんだけど、なかなか文章が出てこない。それはきっと、この対談のお二人と同様に僕自身が、無意識のうちに持っていた親との関係の歪みをコトバにしてさらけ出すのが怖かったからだな、と今ならこうやって書ける。
このお二人はそれぞれ全く両極端なぐらいに親との関係が違う。方や左翼思想バシバシで会社や家庭に君臨する自分勝手な父親と夫からは卑下され娘を全く愛せない母親を持つ娘、そして表面上は息子を溺愛し愛情たっぷりな母親、でも実体は息子を自分のためだけの道具として利用しようとして自我を潰そうとする恐ろしい母親を持つ息子。
どちらも親から愛されたことがないという自覚が、ハッキリとしている。その認識を出発点にして対談は進む。二人の対談で明らかにされる凄まじいエピソードの数々。だいたい対談の最初の1行がこれだ。
原田:岸田さんは、親を殺したいと思ったことがありますか?
二人のエピソードは本文を読んでもらったほうが良いので、ここではメモしない。
でもそんな母親から愛された経験が無い原田さんが、自身が母親になって離婚を経験したあとで、「あまりにかわいそうだから、とにかく嘘でもいいから、(娘に)産まれてきたことを喜んでいると言ってあげようと思った」時のエピソードが、スタバで読んでてすごくグサッときたのでかなり長いけどメモってみる。
私は、母親に抱きしめられた経験がないので、自分でも娘を抱きしめたいと思ったことは一度もなかったし、その必要も感じていなかったんですが、とにかく、あなたがいてくれて嬉しいと言って抱きしめてやるかと思って、自然な感情の発露ではないから芝居がかっていてすごく嫌だったけど、我慢してやってみました。つまり、私の場合、初めは愛しているふりをして娘を騙すつもりだったんです(笑)。そしたら、娘の反応がだんだん変わってきて、ある日、突然、娘が私に抱きついてきたんですよ。びっくりしましたねぇ。
え、何これ?どうしたの?って感じ。(笑)。そんなこと、私は母にしたことがなかったから、ほんとにびっくりしたんです。へえ、子供って、こんなに衒いなく抱きつくものなのかと。こっちはおずおず、やっと抱きしめているという状態だったのに、娘はそんなこと知らないから、無邪気なもんです(笑)。それからですよね、だんだん子供とつきあえるようになったのは。結局、子供を愛するということは、子供に「自分は親に愛されている」と疑いなく感じさせることで、それ以外は何もないんですね。親が自分の心を探って、「自分は子供を本当に愛しているか」なんて、いくら考えても答えなんて出ない。子供が小さいうちは特に母親は負担が大きいから、子供なんて産むんじゃなかったと思うこともあるし、このままじゃ子供に自分の人生を載っとられると思うことだって当然ある。だからといって、自分は子供を愛せないなんて思って悩んでも、そんなことはそれこそ無駄です。
大事なことは、自分が「子供を愛している」と確信することではなく、子供に「自分は親に愛されている」と確信させることなんです。自分の心を探って悩むのではなく、子供の心を探って、「この子は親に愛されていると疑いなく感じているか」を問題にしたほうがいい。「愛されている」と確信すれば、子供は親を愛してくれます。そうすると親も「自分は子供に愛されている」と確信することができて、子供を愛せるようになる。愛してくれる相手を愛するのは簡単だから(笑)。
子育てで悩んでいる、特に子供を愛さないといけないと強迫意識を持っている母親は読んだほうがいい。眼からウロコ状態になる。それ以前に自分と親の関係を振り返るとどうしてもネガティブな方向にいってしまってそれを避けてしまいがちな人は覚悟して読まないと火傷するかも。
ワタクシただいま火傷ちゅう。
メモ http://www.ewoman.co.jp/winwin/120fk_second/index.html
まだ小学生の親だけどこれは読んどかないと。ヒント満載。
しかし、こんなに細切れに30ページも作らせられるWeb担当者の苦労が忍ばれるってもんだ。
この手の対談ものをWebでってのは、ほぼ日が先行者としていろいろ試してくれたと思うけど、脇の写真は要らない気がする。その分、文章をもっとちゃんと詰めて、スペースをタップリとって読み易さを追求して欲しかったなぁ。しかしこんなに何度も何度もクリックさせんな!と小一時間(ry
主人公の藤原さんも出来たWebみて、「う〜ん」と困ってるに500リクルート賭けてもいい。
あと一応、ここも要チェックかな。
http://www.yononaka.net/index.html
しかしなんでこういう教育もののページって ひらがな、フラッシュ、かわゆっぽいイラスト オンパレードなんだろうか。どっかで美的センスがショートしてるとしか思えない。
どうにも「自称育児のカリスマ」のごとく本能のママやってたんじゃぁだめだってことで片っ端から色んな育児本を読んで、わかったことがひとつ。
子供が自分に自信も持つようになる←自分が好きになる←自分の好きなとこも嫌いなとこもまるっと認める
「←」これは「そのためには」みたいな意味で読んで欲しいのねん。
んで、そのようなお子様になるためにはどうもその保護者たる親が同じ道筋を辿って「自分を好きになれ」、と。
まぁ、色んな悪いとこもコミで、まずは今の自分を認めて自分を好きになること、が必要なんだと。そして子供に対して嘘をつかないで正直になり、子供の教育(やらなんやら)がウマくいかないのは自分のせいかも?と自分を責めるなよ、と。なんかカンタンそうに言ってくれる。
アルフレッド・アドラー博士のことは全然知らなかったのでこれからちゃんと調べてみよう。
以下は、ちょっと気になったところのメモ。
133pの『「自分が嫌い」な子供に対しては、親が見方を変える』から。
自分が嫌いだから劣等感や落伍者意識をもつのではなく、劣等感や落伍者意識があるから、自分のことをだんだん好きになれなくなっているのです。
まぁ、劣等感も落伍者意識(って語感がスゴイけど)というものは自分からムクムクと湧き上がって来るものではなくて、親とか周りが与えるものであるわけですな。気をつけないとね。
157pの『親の「不安」を押し付けることを止める』から。
いや、その通り。だいたい、親である自分が自分のことだって良く判んないのにちびっこのことなんてわかんないよ。基本、「わからない存在」なんだけど「好き」というか説明抜きに全面的に悪いとこもダメなとこも認めちゃう、というのが親の仕事なんだろうなと思う。子どもは親と関係なく、秘密をもってもいいと思いますし、親が全部わかる必要もないと思います。違う体と心を持っているのですから、全部わかろうというのは、どだい無理な話です。どうしても知りたいことがあれば、聞けばいいのです。
そしてそれが出来てるかどうか?なんてのも自分が出来てると思えばイイ訳で。
なんかわかったようなわかんないようなそういう不思議な感想ですみません。
ま、とりあえず今週末はちびっこスナップにピッタリのFUJIFILMのFinePix F100fdを買いにイコー。
コーノさんのフランスの教育に比べて日本のこれはどうよ?という記事を読むちょっと前にいいタイミングでこんな本を読み終わった。
なにかっつーと「フランスで父親になる男たち」の話を日本人女性がかなり冷静に分析しているという本。
これまで、女性、つまり母親の視点のフランス絡みの本はあったけど、これは新鮮だわ。(ちなみに前に書いた記事はこれ。)
どうしても離婚率が高いのに出生率が上がっているか?なんて部分で、女性が主人公になってしまうカンタン分析本が多い中でこれはちゃんと中世からフランス革命、さらには5月革命までちゃんとさかのぼりつつ、男を軸として分析してる。聖書の話も出てくるし。
しかも現代の男性たちのインタビューやら医者、産婦人科などなどいわゆる専門家にもきっちり話を聞いている。前のこれが、ご近所さんネタばかりで、ちょっと食い足らないかった印象があるのでこっちはずいぶんと充実している。
そして話は、男性だけにとどまらずに妻としての女性、そして母親としての女性とのかかわり、最後は子どもとの関わりについてもきちんと考察していて、いや~目からウロコというかジンと来たジンと。
とりあえずそのジンと来た部分を長いけど引用する。7章「「父親学」の現在」、205pから。
赤ん坊が夜泣きする。母親はすぐに夜泣きを止めようとする。当然の反応だ。ナウリによると母親は妊娠の論理に支配されている。つまり、子どもの欲求をすべて、それも即座に満たすという論理だ。この場合、欲求というのは、食欲に代表されるような生物的な本能のことである。
母親は、子どものすべての欲求に即座に応えようとする。胎児は母親の腹の中で、空腹など感じずに、胎盤から直接栄養をもらっていた。その時、母親と胎児の間に「時間」は存在しなかった。子宮の中の時間は永遠の時間だ。そこは永遠の楽園である。
母と子は、いつまでもこの時間の存在しない楽園に住んでいたいと願う。父親はそれを阻む存在なのだ。
この世に生まれ落ちたが最後、胎児は空腹だとか、暑さや寒さだとか、常に何らかの「欠乏感」にさらされる。母親はそれを即座に満たそう、「満たされるまでの待ち時間を消そう」と躍起になる。父親は母親ほどの危機感を持たないから、いつもそこにずれが生じる。母親はしばし、このずれにイライラする。
しかし、このずれこそが大切なのだ、とナウリは父親についての古典的名著『父親のための場所』(1985,スイユ社)から近著『父親と母親』(2004、オディール・ジャコブ社)に至る著作を通して訴える。
時間というのは、死へ向かってまっしぐらに進むものだ。時間感覚の獲得は、死にゆく存在である自らを受け入れる過程でもある。母親は子宮を無限に拡大し、どこまでも子どもを包み込み、保護しようとするが、それは決して子どもの成長にとっては望ましいことではない。
何らかの欠乏の感覚があるから、子どもは泣く。その欠乏の感覚こそが、人間が人間たる所以のもので、欠乏の感覚がある種の緊張をもたらし、ほしいものに手を伸ばす動きを生む。欠乏の感覚があり、待たされる時間があるからこそ、その欠乏が満たされた時、用事は「自分」を意識する。大袈裟に言えば、それは死を克服し、自分が生きていると感じる瞬間なのである。
おとなでも、欲するものがあり、それを手に入れるために工夫する。そして、それを獲得した時、本当の満足感がある。欠乏感こそが生きている証であり、また生き甲斐を感じる瞬間であり、欲したものと自分の関係性から「個性」というのものも生まれるのだ。
子どもの欲求すべてを即座に満たそうとする過保護の母親は、時間を否定することで死を否定し、父親を否定し、子どもを満足させることと自分の快感をごっちゃにしてしまう。つまり、子どもから、その子が一個の人間として存在する可能性を奪ってしまうのだ。
と、ここまで転記してみて、Zokerさんてのはすげー父親なんじゃないかと思えてきた。
母親は、基本、子供と同化して許す存在。泣けばあやすし、腹が減ったと騒げば即座に対応してくれる。それは自分の体に痛みを感じてさするのと同じぐらいの本能的な仕草であると。対して父親は、もっとも身近な他者として対峙する存在であること。
そして子供が独占したがる母親を横取りして邪魔をするのが仕事だと。それが最初の「邪魔」の第一歩だと。ということで父親だけじゃなくて母親も、ちゃんとその時は父親のほうに「女」として向き合えと。つまり~、ちゃんとセックスしなさいよ、それって自分たちだけじゃなくて子供たちに対しても必要なのよんって。よーはそーゆーことー。
フランスでは、親のベッドルームにはそうそう入れない、というかあそこは子供が入る部屋じゃない、というふうなんだそうな。これは叩き込まれるらしい。こういうのをきっちり言ってくれると分かりやすいよなぁ。
随分前に読んだ斉藤学さんのこの本にも「父親の役目は我慢させること」って一節があって、「あぁ、おんなじだ」と。
ということでフランスの事実婚事情はそれはそれで参考になるんだけど、なによりもそういう社会というかルールを作るにはこんなに時間となんつーの英語的に言うとストラッグル(日本語で苦闘?ちょっとイメージが違うけど)が必要だったんだなと思う。
ちゃんとゲイとかの同性婚の話もカバーされていて、いや、すごい国だわ、フランス。ますます行って住んでみたくなった。いや、それ以前にこれ良い本だわ。
フランスは、パンもワインも美味しいしね。
うちのちびっこ、フランスに行かせようと思ったら、今からフランス語かなぁ。無理だろーなぁー。アート系?う~む。(謎のつぶやき)
「ウェブ汚染社会」という法政の先生が書いた新書を読んでみた。
携帯やらメールやらブログやら2chやらのネットのもろもろが若年層にワルい影響を与えているのを検証しつつ、その対策と今後の展望を示す、というまぁそうゆう本だ。この手は新鮮さがイノチなので即読んで即感想を書いてみることにする。新書のたぐいはちゃんといつ発行されていて、筆者が思う賞味期限はこれぐらいの時期までです、ぐらいの宣言が要るんじゃないかな。どっちかというと生鮮食品だと思ったほうがいいかも。
という前振りはさておき。結論から言えば、2chとかをちゃんと判って慣れている人(というか昔のBBSから知っている人)からすれば、ゴクゴク当たり前のことが書いてある。だから、2chの管理者、ひろゆきの言う、
「編集をしないことによってクオリティの低いものや、真偽不明の情報はもちろん出てくるが、それは見た人が判断したらいい。わからなければ、使わなければいい。インターネットがなくても日常生活に差し障りはないので」
は別に当たり前のことだし、だからどうということもない。ごく普通の感覚。もちろん、知らない人にとっては「えぇ〜〜〜っ!」ってことかもしれないけど。
そんな当たり前だな〜的記述の中で面白かったのが、いわゆるネットを使った犯罪の概要,章で言うと「第四章 ウェブ汚染から子どもを守るためには」の143p辺りで、匿名性をフルに活用して大人を騙す子供たちの話が出てくる。警視庁のデータによると出会い系サイトの勧誘をしたものの90%以上が女子中学生、女子高生だったんだそうな。つまり子供が大人を騙す構図。
なるほど、ステレオタイプ的に「子供は被害者」という思い込みを捨てて、ついでに犯罪の善悪みたいな社会的判断はちょっとおいておいて、この新しい道具を使うワザについてはやっぱアタマが柔らかいほうがいいんだなと直感する。
で、被害者にも大人は居るし当然子供も居る。加害者側も同じだ。筆者の先生が例えるように、ネットを泳いで行くのは自動車免許と同じと思ったほうがいいかもしれない。運転出来てもちゃんと責任が取れる歳にならないと免許を貰えないし、当然、外を運転することは出来ない。ふむ。ま、一理ありますな。
ただなんでこの本を読もうと思ったかと言うと表題の「ウェブ汚染社会」というタイトルがちょっと気に入んなかったから、それだけ。つまり大人が欲望全開で「ウマいことしてこいつらから金をふんだくってやろうぜ!」って思っているのはいつの時代でもあったわけだし、それの被害に遭う大人も子供も居た。単にそれが素早く簡単になっただけで、まるで毒ガスが蔓延しているかのように脅すのはどーかなーと。最後の章は、かなり明るく振る舞ってるけどちょっとムリがあるwww
昔は、社会通念というかおっかないオヤジとか近所のおっさんとかそういう枠がちゃんと機能していて、個人の感覚をどこまでも延長する(それこそ世界の裏側までとどきそうなぐらい)ネットのような道具がなかっただけでワルい大人は悪かったし、ひねたガキンチョだって居ただろう。つまりはそう言うことだ。道具が悪いんじゃなくて使い方が悪い。そしてその悪い使い方を直そうとマニュアル式にやってももうダメだ。大人も子供も自覚的に客観的に冷静になって個別に「これはこうしよう」とやるしかないと。ひろゆきの言う通り,別にネットが無くなったって死にはしない。
ちょっとブドウ糖がアタマに入ってなくてまとまんないけど(明日人間ドックなのでもう何も食べれないの ハァ)普通のことが普通に書いてある。ちょっと子供をこう扱え!みたいなとこはステレオタイプっぽい駆け足な気がしたけど。
もう1回だけ書いておこう、自分のために。「ウェブが社会を汚染している」のではなくて人間の欲望があからさまなっちゃっただけ。それがネットという媒体と道具によってとても簡単に現れるようになってきただけだ。子供はしっかり、欲の皮の突っ張った大人達を、ウソやゴマカシで丸め込もうとしている大人達を見通していると思うよ。
悪いものも山ほどあるけど、良いものも山ほどある。それが社会だし、人間だと思う。ネットなんてただの道具だ。
あんまり吉本さんは好きじゃないんだけど、これはイイかなって。
http://www.1101.com/nihonnokodomo/2008-04-30.html
子どもは
「親が、わかってるんだけども何も言わないな」
と、なんとなく
推察するくらいでいい
で、いま読んでる「現代思想」の中で「いじめ」と「いじめ自殺」は違うから分けて考えようてな記事を読んで、これまた考えてる。でも整理が出来ないのでちょっと寝かしておこう。
って、今読んでる「多数決とジャンケン」というヤング向け(死語)の本に書いてあった。イイことゆーなー。
今、話題騒然のちゃいなさまの無体な行いも
ちゃいな:「多数決だろ!こっちは世界で4人に1人は中国人なんですけっど!13億も居るんですけっど!だからチベット独立反対!はい、それで決まり!」
って言われた時に、
ほかのひと:「いやいや、そうじゃなくて。こっちが言ってることはちゃんと話をしようよってことさ。そのためにはさ、隠さずにさ見せるところは見せて、よそのひとが見ても分かるようにして、どっちが正しいか、十分に話ししようよ。変に隠すからさ、勘繰られるんじゃん!」
ってことだ。
つまり、きっかけはラサの騒ぎがちゃんと公開されなかったこと。それが始まりだ。そしてチベットの歴史的な何がどうということより、他人に見せらんない、議論や反論を許さない、つまり落ち着いて話し合いができないちゃいなさまの異様さが浮き彫りになってるってことじゃないかな。ま、ちゃいなの中のひとも外のひともそれがわかんないからどんどん突っ走っちゃうんだろうけどね。とりあえず全世界のかなりの人数が、( ゚д゚)ポカーン としてるのはまつがいない。
タイトルにした文章は、
「民主主義では、多数決以上に大切なことがあります。それは十分に話し合うことです。」
ってヤツの引用。ホント基本中の基本をやさしく書いてあるなぁ。
この本の後半はほとんど確率の解説みたくなっててそれはそれで面白かったんだけどね。それだけ。
「聖者は口を閉ざす」という小説。スティーブン・キングとかエルモア・レナードとかが絶賛したそうな。
(アマゾンさんだと日本語訳が出ないので、こっちで。)
話は、ニュージャージーのイケてないけどそんなに田舎でもない街に住む40代の男性の話。ストーリーはもうどうでも良いけど、麻薬やら拳銃から強盗やら窃盗やらもうアメリカの暗い面がどこ向いても口を開けて待っているような街で起こった傷害事件をその被害者の男性の幼馴染みの婦人警官が解き明かしていく、という一言で言うとそういう話。
これまた何故かとても読み終わるのに時間のかかった本だった。何故かというとその男性、レイが余りに無防備でお人好しで騙されやすくて、もう読んでるだけでイライラするような危なっかしいオトコ、だから。しかも別れた奥さんと一緒に暮らしている娘ともどうやって折り合いを付けていけばいいのかも分からず、グルグルさまよいまくり。
読んでるハシから「あぁ!もう!イライラする!なんでそんなことすんの!」って感じちゃってなかなか進まない。そして最後で待っていた衝撃の真実。もうこんなに救いの無い話も無いんだろうけど、不思議と薄明かりみたいな明るさがある。
東野圭吾じゃないけど、「人間って悲しいな」と思わずにはいられないお話。状況的にはアメリカのほうがはるかにキツいんだろうけど。
そんなイライラの連続でもググッとくるところもあるので、そこをちょっとメモ。
理解出来ないし、近づけない14歳の娘との関係を、同世代の廃人のような街の情報屋からお説教を食らうところ。
「・・・もし本心から娘さんの友人になりたいと思うのならどうすればいいかって?だったら友だちになどなるな。父親になれ。」
そして、いわばお節介でレイの事件の真相を探る婦人警官、ネリーズが、どうしてヤク中の兄貴とか凶悪な犯罪が当たり前の周りの環境に負けずに警官になったか?というところを話すところは、感動もの。そしてレイがどうしてこういう事件に巻き込まれたのか?をゆっくりゆっくり解きほぐすかのように語る。もしもこれが映画になるなら、このシーンだけで、というかこのシーンがどれだけ演じられるか、どれだけ表現出来るかだけで、この映画の評価が決まりそうなヨカン。それぐらい重要な場面。
こういうスゴイ細かい(でも大事な)部分がちゃんと描けてるところが、いいと思った。これ、是非、映画で観てみたいなぁ。
重松清さんの「卒業」を読んだ。登場人物の設定とか、かなりリアルかつUp to Dateな状況の設定とか、もうあまりに巧過ぎてZokerさんじゃないけど「コイツはなんとかせなあかん」と思っちゃう。
だって自殺した友人の名前でググってその娘が作っているホームページ見付けるなんて、如何にもありそうだ。
しかも子供にとっての離婚と再婚とか、引きこもりとか自殺とかどれも重いトピックなのにとてもスルッと入ってくる。
別になにを解決しようとしている訳でもないんだろうし、正解なんてないという現実にとても即した状況を切り取った感じの物語。とても重いし苦いのに、ノド越しの良い冷酒を飲んだような後味なのはなんでだろう。
いつもそうだけど,あまりに心地良すぎて逆に後に残らない。先生、ちょっと巧すぎです。もちっとツマズイてください!って言いたくなる。
ちょっと今の季節に読むのは、涙腺刺激し過ぎでヤバかった。