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どうしてもVoxからいつものAmazonさん経由で本が追加出来ないので、むりやりVox This してみた。
被害者の視点で、「被害者を救うにはどうしたらいいか?」というところから更に一歩踏み込んで、加害者というのはどういう人なんだろう?という、まずもって女性としてはとてつもない勇気が無いと出来ないような領域に足を踏み込んでしまったカウンセラーの書いた本、といえばいいのか。
オトコとして読めば読むほど、その観察力にビックリする。「悪い夫は良い父にはなれない」とか「オトコの性犯罪は計画的だ」とかもう、恐ろしいぐらいにズシッと来る。
だいたいDVというとオトコが加害者、オンナもしくはコドモが被害者なわけだけど、そのオトコ=加害者、オンナ=被害者という構図が、「お前がダメだからしょうが無くて殴るんだ。そういう意味ではオレのほうが被害者なんだ」という自分中心の勝手な論理で加害者と被害者がすり替わってしまう、というよくある展開を見事に分析している。
なぁ〜るほどね、こうやってオトコは自分を正当化するのだな、ということが判る。
そして性犯罪の加害者を分析するところでは、「つい出来心で・・・」なんていう嘘をキチンと解き明かしてくれる。痴漢は完璧に計画して実行しているらしい。やったこと無いから判んないけど、その心理分析はうなずける。こうやってみるとオトコのいうのは、つくづく哀しい生き物だなぁと思う。
DVの被害者にとって、「まずは逃げて。生き延びて。」という段階から、「逃げるだけでは解決しない。オトコが変わらなくては」という一歩先に視線を移して「じゃぁ、どうやったら、逃げるだけじゃなくて相手を変えることができるの?」という部分にも具体的な提案があって、うん、これはスゴい説得力。
二日ぐらいで読み通せちゃったけど、もう一回ちゃんと読んでおこう。オトコの端くれとして。加害者にならないために。
NTT出版さんから出ている「キーボード配列 QWERTYの謎」という本を読んだ。キーボードマニアなravenさんと確か旦那さんにタイプライターをプレゼントされたmocholaさんは読んだほうがいいかも。
でも、この著者のご夫婦がこれを書いたきっかけが「ふざけるな、このエセ歴史学者」って感じちゃったある学者へのインタビューだったって言うんだから、面白い。で、QWERTYが出来上がったその経緯と登場人物にかなり迫っていてイイ。ほんとにその頃にワープして話を聞いてきたみたいに。
最後の最後で、この本の結論として「QWERTY配列の歴史は、生産者による押し付けの歴史だった」というのが、「そうだよ!」って腑に落ちた。日本だと六本木に本社のある国際業務機械さんのちょー押し付けエピソードとかを読むとほんとにそう思う。
しかもアンチQWERTY論者の論拠というのが、ガセネタだってちゃんと論破してる辺りでニホンのお偉い先生たち、坂村健とか石田晴久とかのよく見る名前が出てきてタノシイ。オジサンたちもまんまと乗せられちゃったのねんって。
コンピュータで飯食ってる人は読んどいたほうがイイかも。
結局、「アンチQWERTYなみなさんにガツンとくらわしてやりたかったんだよ、オレは!」というハァハァな息遣いが聞こえてくるような感じのラストスパートがとてもヨロシイと思います。
昔のアメリカ、1904年のアメリカの少年と少女のお話。しかも場所がインディアナ州ってんだから、そりゃド田舎だわって思った。
なんか和訳のほうの表紙が出ないので、原書も入れといてみる。
インディアナ州のド田舎で育ったラッセルとその姉タンジー、そして末の弟のロイド、ラッセルのお父さん、近所のいたずらっこチャーリー、おしゃまさんのパール などなどが登場する学校を舞台にした青春物語(っていうのも陳腐だなぁ)。
で、題だけよむとまたぞろ教育系のハナシかと思いきや、少年がちょっとだけオトナになり、少女がこれまたちょっとだけオトナになるという筋書きなんだけど、アメリカの田舎と言えばお約束のビンボーネタもハラハラの恋愛ネタも最後にホロッとくるお涙ネタもちゃんとバランスよく揃ってる。
しかしこの頃のアメリカの田舎の貧乏っぷりは凄まじいなぁ。日本みたいにちょっと山に入れば、いろいろ採れて、ちょっと海に入ればこれまたいろいろ採れる、しかも真冬以外は結構その辺のものを食べてれば何とかなる、みたいな「大自然の品揃え豊富感」がきわめて少ない。あっても池ででっかいカエルを穫ったりするぐらい。
シアトルに2年間住んだり、なんどもなんどもアメリカには出張で行ったりしてるけど、基本は都会や郊外のオフィスで、回りは平均所得が高そーな住宅地ばっかり。一度でイイからこういうド田舎(ワイオミングとか)で暮らしてみたいなぁ。それはそれできっと退屈なんだろうけど。
本の話に戻りますと、あからさまに「お涙頂戴」でも無ければ、そんなにはドラマチックなことが起こらないのにドタバタ、ハラハラしてる感が満載でちょっと心拍数が上がる。でもそのドキドキは最後の最後でオチが明かされるので、スッキリして気持ち良いぐらい。けっこう感動的。読むなら、あんまり期待しないで読み始めるとイイと思う。最後の最後でほんわかした気分に浸れます。
で、Wikipediaで1904年を調べてみると、なんと日露戦争の始まった年なんですねぇ。アメリカさんはこんなにのんびりしてた時に日本はきっとどんな田舎の少年でも、決死の覚悟で日本海海戦の戦況に一喜一憂してたんじゃないかと。
あの名文、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」を思い出す。だいたい最初にバルチック艦隊を見つけたのは対馬かどっかの島の少年だったんじゃ無かったかな。う〜ん、思い出しちゃった。やっぱ「坂の上の雲」、イイですよねぇ。何度でも読み返したくなる。
最後は大脱線でした。おしまい。
この本について書こうと思うんだけど、なかなか文章が出てこない。それはきっと、この対談のお二人と同様に僕自身が、無意識のうちに持っていた親との関係の歪みをコトバにしてさらけ出すのが怖かったからだな、と今ならこうやって書ける。
このお二人はそれぞれ全く両極端なぐらいに親との関係が違う。方や左翼思想バシバシで会社や家庭に君臨する自分勝手な父親と夫からは卑下され娘を全く愛せない母親を持つ娘、そして表面上は息子を溺愛し愛情たっぷりな母親、でも実体は息子を自分のためだけの道具として利用しようとして自我を潰そうとする恐ろしい母親を持つ息子。
どちらも親から愛されたことがないという自覚が、ハッキリとしている。その認識を出発点にして対談は進む。二人の対談で明らかにされる凄まじいエピソードの数々。だいたい対談の最初の1行がこれだ。
原田:岸田さんは、親を殺したいと思ったことがありますか?
二人のエピソードは本文を読んでもらったほうが良いので、ここではメモしない。
でもそんな母親から愛された経験が無い原田さんが、自身が母親になって離婚を経験したあとで、「あまりにかわいそうだから、とにかく嘘でもいいから、(娘に)産まれてきたことを喜んでいると言ってあげようと思った」時のエピソードが、スタバで読んでてすごくグサッときたのでかなり長いけどメモってみる。
私は、母親に抱きしめられた経験がないので、自分でも娘を抱きしめたいと思ったことは一度もなかったし、その必要も感じていなかったんですが、とにかく、あなたがいてくれて嬉しいと言って抱きしめてやるかと思って、自然な感情の発露ではないから芝居がかっていてすごく嫌だったけど、我慢してやってみました。つまり、私の場合、初めは愛しているふりをして娘を騙すつもりだったんです(笑)。そしたら、娘の反応がだんだん変わってきて、ある日、突然、娘が私に抱きついてきたんですよ。びっくりしましたねぇ。
え、何これ?どうしたの?って感じ。(笑)。そんなこと、私は母にしたことがなかったから、ほんとにびっくりしたんです。へえ、子供って、こんなに衒いなく抱きつくものなのかと。こっちはおずおず、やっと抱きしめているという状態だったのに、娘はそんなこと知らないから、無邪気なもんです(笑)。それからですよね、だんだん子供とつきあえるようになったのは。結局、子供を愛するということは、子供に「自分は親に愛されている」と疑いなく感じさせることで、それ以外は何もないんですね。親が自分の心を探って、「自分は子供を本当に愛しているか」なんて、いくら考えても答えなんて出ない。子供が小さいうちは特に母親は負担が大きいから、子供なんて産むんじゃなかったと思うこともあるし、このままじゃ子供に自分の人生を載っとられると思うことだって当然ある。だからといって、自分は子供を愛せないなんて思って悩んでも、そんなことはそれこそ無駄です。
大事なことは、自分が「子供を愛している」と確信することではなく、子供に「自分は親に愛されている」と確信させることなんです。自分の心を探って悩むのではなく、子供の心を探って、「この子は親に愛されていると疑いなく感じているか」を問題にしたほうがいい。「愛されている」と確信すれば、子供は親を愛してくれます。そうすると親も「自分は子供に愛されている」と確信することができて、子供を愛せるようになる。愛してくれる相手を愛するのは簡単だから(笑)。
子育てで悩んでいる、特に子供を愛さないといけないと強迫意識を持っている母親は読んだほうがいい。眼からウロコ状態になる。それ以前に自分と親の関係を振り返るとどうしてもネガティブな方向にいってしまってそれを避けてしまいがちな人は覚悟して読まないと火傷するかも。
ワタクシただいま火傷ちゅう。
「西の魔女が死んだ」はおばあちゃんと孫娘のなんというか「卒業」というべきか、成長というべきか、まぁ、そういう少女がひとつくぐり抜ける話だったけど、今回読んだこの本も孫娘と海沿いの別荘みたいなところにひとりで住んでるおばあちゃんのお話だ。
冒頭であんまり馴染んでいなかった転校生のオリーブが交通事故で死んでしまってから、その母親が日記の1ページを届けにくるところから話が始まる。この辺りの構成のウマさが「西の魔女が死んだ」にちょっと似てる。
主人公のマーサは母親とも馴染めず、父親とはその無理解のほどが徹底しててオカシイほど。そして1歳上のヴィンスとも、まだ小さい妹のルーシーとも判り合えてないという、普遍的な10代の少女なんだけど、おばあちゃんとだけは何か判り合えるものがある。おばあちゃんちで過ごす短い夏休みで体験することがマーサを成長させるって話。
最後がちょうハッピーエンドでもなんでもなくて、でもそれがすごく日常的な描写で気に入った。
12歳の体験する日々ってこんな感じだよなと思う。
誰も彼もが悪いわけでもなく、かといって善人ばかりでもない。みんなすこしづつすれ違ってたり、判り合えたりしながら、大人になったり、子供になったりするんだな。老人と子供が判り合えるのもなんとなく判る気がする。
「世界はあなたが思っているようなものではない」とおばあちゃんちの近所に住むジミーが呟く。
まさに子供にとってはその通りの意味なんだろう。そしてそれをちょっと乗り越えた気がした時にオリーブにちゃんと「バイバイ」って言えて、おばあちゃんのとこで体験したイヤな思い出にもさよならして、すれ違っているけど愛すべき家族に「ただいま」って言えたんだと思う。
イイ話です。おススメ。
こういう新書のたぐいはさっさと読んでおかないと賞味期限があるからさ。
元駐フランス大使だった平林博さんというかたが書いた「フランスに学ぶ国家ブランド」というちょっと残念な感じのタイトルの本。編集の人、もう少しオサレなタイトルにしてあげれば良かったのにと思う。
でも内容は、サルコジとのエピソードから文化の話、国歌、外交、国連との関わり、原発によるエネルギー政策、移民の話、少子化対策、食料自給の話、公務員の改革まで。もう考えつく限りのフランスネタが満載。ここまで欲張んないでも、もう少し小出しにしたほうが良かったんじゃないかと思うぐらい。そういう意味では各トピックがちょっと消化不良って感じかなぁ。早足で駆け抜けたって言っても良いぐらい。でも、読み易くて判りやすい。具体的な話が多くてイメージし易い。
そこで見つけた小ネタ。
フランスで柔道が盛んというのはなんとなく知ってたけど、柔道人口が60万人もいるってのにはびっくり。日本だって20万人なんだそうな。そして親たちは「子供たちに礼やしつけを学ばせる最良のスポーツ」だと思ってるらしい。
ジュニアサッカーに入れ込んでる日本の親たちにきかせてやりたい。
原発に関して言うと日本とフランスが世界をリードしているらしい。六ヶ所村というと原発反対派にとっては、すげーダークな場所って感じだけど、そことフランスのカダラッシュというところでITERという次世代の熱核融合のプロジェクトが日仏で粛々と進んでいる、とな。
それと移民問題、少子化問題の部分では、上手くいっている部分(少子化対策)には積極的にマネをして、移民問題も反面教師として対策を練れ、だそうです。
そんな中で移民政策の辺りの文章をメモ。
欧州諸国の苦悩を身近に見てきた私としては、わが国も「選択的移民政策」に学ぶべきであると考える。
安い労働力の確保などのために移民を入れるべしとの、経済界の声がある。
(中略)
しかしこれらは、入ってくる外国人が、日本の法律を守り社会秩序を乱さず、また、できるだけよい市民、よい訪問者になる努力をすることが前提である。最近インド人が目立ってきたが、昔から商業などに従事するインド人も、IT企業などで働く最近のインド人も、ほとんど犯罪を犯さない。彼らが、教育程度や技術も高く、経済的にも自立するだけのものを持っているからである。
もう「インド人はOKだけど中国人は今のまんまじゃダメだろ!つか中国人いい加減にしろ!」っていうメッセージが透けて見える気がするのは文字通り気のせい?言いたいことはそれじゃないかなーと思う。
コーノさんもどっかの米に書いてたけど、フランスの公務員の多さは異常。だいたい日本の市町村にあたる区分、コミューンが36,800もあるんだそうな。日本は合併が進んでいまは、1,788。フランスって国土で言うと日本の1.5倍。人口は約半分。それで36,800の市町村ってスゴイ数だ。公務員も多いわけだ。
ちなみにフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」を聴いて最初に「あれ?これってあの曲のイントロだよな」と思ったのはワタクシだけではあるまい。初めて買ったビートルズのアルバムは、「サージェントペパーズ」だったけど、「マジカルミステリーツアー」も好きだったなぁ。
ご近所で鉄ちゃんの息子さんを持つモノ同士のakiraさんからすごい前に貰った「茶の本」というのをやっと読んだ。
なんか、図書館で借りるんじゃなくて、手元に有って返さないでイイ本が後回しになっちゃうのは良くないぞ>自分。
ということで非常に薄いんだけど、茶道の本質みたいなことを平易な現代の文章で書いてある。読みやすい。
茶室は左右対称になってないとか、あの狭い入り口の意味とか、なんとなく知らなかったことが書いてあって興味深い。
でもそんな茶道に関わらないこんなとこに惹かれたので、メモしてみる。16pから。
自分自身の偉大さが、いかにとるに足らないものであるかということを認識できない人は、他人が持つささやかなものの偉大さを見過ごしてしまいます。平均的な西洋人は自己満足に陥るあまり、茶の湯もまた風変わりで子供じみた数ある東洋の習慣の一例にすぎないと思うでしょう。彼らは日本が平和でおだやかな技芸に耽っていたとき、野蛮国とみなしていましたし、反対に、日本が満州の戦場で大殺戮を繰り広げると文明国と呼ぶようになりました。
これって凄く的確に本質を突いていて、当時は武器と兵力をもって他国を侵略できない国は文明を持っていないと思われていた、ということだな。その侵略は、宗教やら文明とやらの押し売りとして「開化」と称された、と。そしてその代金として植民地として搾取でいっちょ出来上がり、と。
こういう時に押し付けることの出来る「宗教」を持っていなかったのが、当時の日本の欠点だったのか。
勿論、そんなのは無いほうが良かったと思うけど。ま、日本が野蛮な国じゃなかったってーのは、「一度も奴隷という制度を持たなかった」というだけで十分証明になってると思うけどね。
とにかくこれをちゃんと英語で書いて今から100年前に出版(1906年出版)した人が居たのがスゴイ。
別の本で読んだ岡倉天心のエピソードはもっと凄く人間臭い話だったと記憶してるんだけど、どの本だったんだろう?
ちなみにこういう時のBGMはLed Zeppelinの『How the west was won』で。
うちのSONYの液晶のテレビが壊れて、「どーしよーかなー?」と思ってたときに「でも、ないと困るから買う」ということで量販店の店頭で「まー、液晶ならAQUOSですかね。」みたいな感じであまり考えもせずに液晶テレビを買ってきたのが1年ぐらい前。
結局、最近、地デジがマンションワイドで導入されるまで「なんか画質悪いな〜。なんなのこれ?」みたいに相当評判が悪かったAQUOSくん。でも地デジで観てみると今までのは何だったんだ!ぐらいにキレイです。
前置きが長い。そうこれを読んじゃったんです。こんなことなら、パイオニアさんのKUROも候補にしておけば良かった。
書けることと書けないことがあるのねって思ったオトナのキモチ。
でも、ちょっと調べてみると確かに高いのね、KURO。42型で27万ぐらい。他の液晶が同じサイズで17万〜20万くらいだから10万は高い。う〜ん、これだと各ご家庭の大蔵大臣さまを納得させるのはツライよなぁ。
でもとにかく良いものを作るっていうメーカーの心意気が良く出ていて良い本でした。おススメ。