昨日から長野に来てる。今年は暖冬のはずなのに着いた次の日は一面の雪。
ちびっこは、早速着込んでまだ誰も居ない駐車場でガシガシと雪を踏み固めたり。
写真をUploadする環境が無いので、写真はまた別途ってことで。
にかかっちゃいました。もうね、PENTAXのK100Dも良いけどさ、さわり心地っていうか持った感覚にやられた。
甥っ子に買って欲しいものがあるとか言われてちょっと戦々恐々としてる場合じゃない。
なんでもいいけど、AmazonでD40を検索すると、ELECOMのカバンがヒットしまくる。「なんでかなぁ~」と思ってると、
ELECOM ZEROSHOCKインナーバッグ(参考収納寸法W270*D40*H210mm)A5ノートPC対応 ブルー ZSB-IB009BU
の*D40*でヒットしてるのかと。
ホンチャンはこちら。
本だけじゃなくて、こういうのも貼り付けられるといいのになぁ。本の値段なんかたかが知れてるし、こういうお高いもののショッピングからアフィリエート踏ませるほうが儲かると思われ。>Voxチーム様。
あぁ、欲しいなぁ。だれかお正月のお年玉にくれないかなぁ。
さっきまで、10chでやってた中田英寿の引退後を追った番組をタマタマ観てた。
引退後、半年で20カ国以上グルグルと旅をしていると。で、スラム街やら地雷の除去をしている団体やら、子どもがいるところ主に回っている。彼の目的が何なのかはあまり明確にしてはくれなかった(というかナガラ観だったんでよく聞いてなかった)んだけど、こういう風に引退して即、世界に出て自分の目で色んなものを見るという経験をしたアスリートはあまり居ないんじゃないかな。(しかも、それがこういう風にメディアに載るというのも。)
普通は、「家族と一緒にいたい」とかだから。そして普通、家族が居るところは、決まっているから。
こういう経験をすると自ずから政治とか社会の仕組みとかに興味が行くんだろうと思う。是非、政治家という仕事に価値を見出してもらいたい。そして何かを変えて、何かを作って欲しい。
変えること、壊すことは意外と容易だけど、サッカーの試合のように何かを組み立てて、結果を出すことは容易じゃないから。
ま、サッカーが一つのパスで局面をドカンと打破するようなダイナミックかつカタルシスに溢れたゲームでもあるってことはこの際、置いといて。こちとら、サッカー&政治素人ですからwww。
今日は、秋葉原のAKIBAXへ。国内で初めてVistaのお披露目ということらしい。
で、AMDさんのブースにあるこのマシン。Dual CoreのCPUが2つ付いててモニターが4つ。
一番左端のモニターでBlu-ray Discの再生をやってる。なんだか物凄いことになってる。
しかし、会場は閑散としていて出展社だけが居るって感じ。そこで隣のブースのお姉さんがちびっこにくれたのがこれ。
お~い、5歳児にこんなもんあげてどうするよ!
で、もう帰ろうとしたら、入り口に昔一緒に仕事したS藤マーさんと遭遇。もう10年以上もMSKKに居るんだから凄い。というか相変わらずこういうところで逢うってことは(マネージャー様じゃなくて)そういう現場のお仕事をしているってわけで。こっちのほうが、凄い。
本人は、ヨドバシカメラで貰った風船に大喜び。でも、すぐにしぼんじゃうんだよなぁ。
さぁ、明日はクリスマスパーティだ!
タイトルに引かれて借りてみたら、何のことは無い、とある小説家のエッセイ集だった。
ま、きっとこの人の小説のファンなら、面白かったのかもしれない。でも、たった一つだけ新幹線の中で号泣しそうになった話がある。
「君のためにできること」というほんの4ぺージの話。
妻である将棋棋士のところにメールが届く。9歳の子どもの父親から子どもがファンなのでサインをくれと。彼女は、父親ではなく本人からの手紙が欲しい、ということで手紙のやり取りがはじまる。
その男の子は不治の病に冒されて、余命いくばくも無い。それでも彼女に手紙を書く。
「おとうさんから高橋先生もこどものときにこうつうじこでたいへんだったとききました。まだいたいですか。いたくならないようにおいのりしています。」
作者の妻は、4歳のときに交通事故にあって左足を切断寸前と言う重傷を負ったことを、この子は知っている。だから手紙の最後はいつも
「高橋先生のあしがいたくならないようにおいのりしています。」
で終わる。そんな彼から、最後の手紙が届く。
「いたいです。くるしいです。」と書かれている言葉になんと答えればいいのだろう。少年は末期癌の苦しみの中で、必死に手紙をしたためているのである。「おてがみうれしかったです。いつまでもいつまでもおともだちでいてください。」とまるで泣き叫ぶような字で書かれてある。憧れる人に何とか自分の気持ちを伝えたい。いつまでも、いつまでもおともだちでいてください、その純粋な気持ちを。
そして最後にはまた一際大きな字で「高橋先生のあしがいたくならないようにおいのりをしています。」と締めくくられてあった。
そしてその手紙の数日後に亡くなってしまう。彼の父親から手紙が届く。
「あまりにもかわいそうに思った神様が、息子に、最後の恋をさせてやってくれたのだと思います」と父親から手紙が届いた。そして「病気の苦しさをどれぐらい紛らわしてくれたことか」と感謝の気持ちが綴られてあった。少年から初めて手紙をもらってからわずか三ヶ月。少年は亡くなる前日まで、妻の足が痛くなることのないように祈っていてくれたそうである。
これを読んで、手で書いた手紙ってのもいいもんだなと思った。
気がつくとすっかり更新が止まってたmy Vox。ということで先日、奈良に行った時に新幹線の中で読み切ってしまったこれでもご紹介。
母親がしつけや教育と言う名のもとにいかに暴力を子供に対して働けるのか、そしてその暴力が反復するのかを丁寧に解説している。元々は、セミナーのテキストだったものを起こしたらしく、芹沢さんの他の本よりは遥かに読みやすくて平易な文章で書かれてるので、これならさら~っと読める。
しつけと称する体罰は、愛の延長では勿論ないし、ポジティブな効果は全く無いことがよく判る。しかし、ここで紹介されている調査によると70%を超える割合で子供を叩く母親というのが居ると言う事実はすさまじいとしか言いようが無い。
最後の収録されている、子供に暴力を振るった2人の母親と芹沢さんの対談が恐ろしい。いきなりバーンって殴る、死ねって言う、モノを投げつける。そういう体験をさらっと喋ってる。
無条件の存分な愛をもらえないで、「もしこういうことをしたら愛してあげる」というような条件付きの愛で育てられた子どもは娼婦になる。
という一節がとっても心に残る。
母親が子どもを叩くようになる過程のキーワードは、3つ。「反復」、「教育」、「自分」。
「反復」は、昔、自分も親から叩かれて育った、でも今は親のことが好きだし、ちゃんと大人になれた、だから自分が子どもを叩いても問題無い、という思考。勿論、甘やかして育ててもらえなかったから、子どもを甘やかす方法がわからないという側面もあるらしい。
「教育」は、文字通り、教育という名のもとに大人が望む「いい子」を育てるためにムチを入れるという最近の傾向。
「自分」は、この子が居なかったらもっと「自分」らしく仕事も出来たはずだし、「自分」のやりたいことも出来るはず。だから、この子が悪い、母親である自分は自分じゃないという考え方。
知り合いで、「子どもはもっとキッチリ厳しくしつけないと!」という母親が居たら、読ませるといいと思う。ちなみに「6歳まで~」というのは、124pにでてくるエリザベス・キューブラー=ロスと言う人のコメント。